夜更けのエントロピー / ダン・シモンズ

夜更けのエントロピー (奇想コレクション)

夜更けのエントロピー (奇想コレクション)

河出奇想コレクション、長らく積読にしていたダン・シモンズを読み始めたのですが、これが!面白い!何で今まで放っておいたんだ!と我と我が身を責める事になってしまいました。


ダン・シモンズ、言わずと知れたSF小説の金字塔的作品《ハイペリオン》シリーズの作者です。そしてSFのみに留まらず冒険小説やホラー小説を多数執筆している作家でもあります。オレも《ハイペリオン》シリーズ以外では『カーリーの歌』というインドを舞台にした長編恐怖小説を読んだことがありますが、インドの蒸し暑い空気がじっとりと体に纏わり付いてくる様なひたすらイヤ〜な気分になる物語でした。だって、これ読んでインドには絶対行きたくないって思ったもん。


さてこの『夜更けのエントロピー』ですが、ラブリーな表紙に騙されてはいけません。この短編集も見事にダン・シモンズらしい歯ごたえのあるホラー小説集となっています。最近ホラーらしいホラーを読んでいなかったので非常に面白く読めました。


作品を紹介してみます。


『黄泉の川が逆流する』は死んだ家族の甦りを扱っていますが、ありがちなテーマなのにもかかわらず全編に漂う絶望感に満ちた雰囲気には筆力を感じさせます。
ベトナムランド優待券』ベトナム戦争をテーマパークにしてしまった未来のお話。西部劇のテーマパーク、『ウエストワールド』を思い出しましたが、この物語は後半に行くにつれ暴力と狂気に満ちた物語へと変貌します。
『ドラキュラの子供たち』はチャウセスク政権崩壊後のルーマニアを舞台にしたあまりにも陰惨な話。50万人とも云われるチャウセスク・ベビーが廃物処理所のような収容所に入れられ死を待つ様は地獄の光景としか思えません。そしてルーマニアといえばトランシルヴァニア。吸血鬼伝説がこれに絡み、身の毛もよだつような物語が展開していきます。
『夜更けのエントロピーは奇妙な味わいの傑作です。物語の中では殆ど何も起こりません。父と娘が橇遊びをしていて、その父親が橇で滑走する娘のことを痛いほど案じているだけなんです。そしてこの現実時間の中に保険調査員だったこの父親がこれまで見てきた数々の交通事故の陰気で惨たらしい記録がカットアップされていきます。これらの事故の有様は創作とは思えないほど実にリアルな描写(現実にあったことらしい)がなされ、次第に生と死の天秤のその不条理な采配に引き込まれていきます。この強烈な死のイメージが橇に乗る娘とかぶさり、ゆっくりと不安と緊張感が高まっていく構成が凄い。そしてこの偏執的なまでの不安は、親がただ子供を愛するからであり、その思いの強さがラスト、深い共感と感動を与えます。
『ケリー・ダールを探して』は刻々と様相を変える世界に放り込まれ、かつての教え子であった少女を相手に命を懸けたマンハントゲームをする羽目になった教師の物語です。この世界は何なのか?どうしてこの少女と殺しあわなければならないのか?これらが教師のフラッシュバックと共に描かれていきます。そして切ないラストが…。かつて教師であったダン・シモンズの経験が生かされた一篇。
『最後のクラス写真』は校舎に侵入する子供のゾンビに女教師がライフル銃の照準をあわせる冒頭から異様な雰囲気に包まれた物語です。ゾンビ物のホラーですが、この切り口は今までになかったものかも。
ラストを飾るバンコクに死す』は暗く淫靡な魔都バンコクを舞台に、ある男の悪夢のような地獄巡りが語られます。ここで描かれるのは究極の快楽と隣り合わせのおぞましい死。遠い異国の地で魔界の淵を覗き込んだ男の絶望と虚無感は読むものの魂を凍りつかせるでしょう。


ハイペリオン》においてワイドスクリーンバロックともいえる華麗な宇宙世界を描いたダン・シモンズですが、《ハイペリオン》も章によっては非常にホラーテイストの強いものがあったことを思い出せば、ダン・シモンズの作家的素養はむしろこの暗い輝きに満ちた作品群の中にあるのだと思わせます。


それと、これら作品からダン・シモンズとS・キングとの類似性をちょっと感じました。教師=作家=アル中=破滅願望、なんてあたりで。あと年代的に背景にベトナム戦争があるというところも似通っているかも。そしてなにより、暗く重い疲労感と絶望感に満ちた筆致。ホラー作家はこの絶望感をいかに鮮やかに描くのかが腕なんだと思いますが、ダン・シモンズは高い描写力でそれを易々と描ききります。