〔永遠の戦士エルリック 1〕メルニボネの皇子 / マイケル・ムアコック

ISBN:4150105871
エルリック・サーガの序章《メルニボネの皇子》《真珠の砦》を合本にして新装発売された1冊です。ヒロイック・ファンタジーというのは実は今まで手に取った事が無くて、なんとなくマッチョで蛮勇溢れるものを想像していたのですが、読み終えてみると、ヒーローであるにも拘らず逡巡と躊躇を繰り返し、足踏みしながらなかなか正しい道を選べないでいる主人公に強い印象を覚えました。


皇子である主人公エルリックは常に強烈なアンビバレンスを内在させています。聖であり邪であり、剛烈であり脆弱であり、若者のようでいて老成しており、革新を唱えながら縁故に頼り、運命を切り開こうとしながら運命に流され、復讐を誓いながら慈悲を唱え、冷徹でありながら皮肉を口にします。エルリックの足跡自体も世界を改革しようとしていながらも場当たり的で無計画だったりと混沌としていますが、しかし面白いのはそれらが一人の人間の中で矛盾せずに共存しているということです。この物語の面白さはひとえに主人公エルリックのこの複雑な内面によるところが大きいのでしょう。彼の起こす行動は悲劇的なぐらい裏目に出てゆくのですが、かといってそれに苦悩するでもなく、どこかニヒリスティックに、飄々とその運命を受け流してゆくのです。


このような混乱や矛盾を抱えた人物像と言うのはえてしてひどく人間的に描かれるものですが、しかしこの物語でのエルリックはそれらを超越し超然としたカリスマ的な人物です。だからこそ〔永遠の戦士エルリック〕は魅力溢れるヒーローの物語として長く愛されたのではないでしょうか。


それぞれのエピソードを少し紹介しましょう。


《メルニボネの皇子》
エルリック・サーガの序章となる章です。かつて世界の覇者でありそして今衰亡の道を辿ろうとしている”竜の島”メルニボネ。ここでは血と魔法、退廃と絢爛に彩られたこの国の有様、王であるエルリックの姿と彼の従兄イイルクーンとの確執、そして妹であり許婚であるサイモリルとの愛が語られます。物語は従兄イイルクーンの叛乱とその戦いを中心に描かれ、舞台は異次元にまで及び、そしてこのサーガの鍵となる魂を啜る魔剣、ストームブリンガーの登場をもって次章へと続きます。
エルリックの物語に関してはこれ以前に何作か短編が書かれていましたがこれは初長編だということで作者も模索しながら書いていたと見られ*1、プロットにムラがあったり書き込みの未熟な部分もあったりするのですが、剛力と蛮勇だけの物語では決して無い、エルリック・サーガの持つ魔術的な世界がここでは詳らかにされます。世界の覇者であった島国メルニボネは、作者の生まれた土地である斜陽の大英帝国・イギリスの写し絵だったのでしょうか。


《真珠の砦》
メルニボネ王国を再び世界の中心たる国にする術を見つける為伝説に満ちた未踏の世界を旅するエルリック。砂漠の国クォルツァザードで彼はある危険な依頼を受けますが、それは多次元世界までも巻き込んだ壮大な戦いへと発展してゆきます。エルリックは一国の存亡をも左右する運命を担った少女の夢の中の世界へ、多次元世界から旅してきた《夢盗人》と呼ばれる種族の女と赴きますが、なにかニール・ゲイマンの《サンドマン》を思わせる展開ににやりとさせられました。多次元宇宙での目的地《真珠の砦》への道のりには七つの土地があり、それぞれに試練が待ちますが、それはどこか仏教で言う輪廻転生の六道巡りを思わせ、この物語に奇妙な奥行きを与えています。とすると最後に手に入れる《真珠》は解脱の象徴だったのかもしれませんが、そこはエルリック、悟りなどよりも血飛沫舞う殺戮の嵐が最後に待っています。


長大なサーガの二篇のみを読んだだけですが、エルリック・サーガの中心的な舞台になるのはこの”多次元世界”ということになるのでしょうか。このように活劇のみに留まらない精神世界への旅の有様が、エルリックの物語をきっとモダンでエキセントリックなものにしているのでしょう。勿論物語り全体として見ても骨肉のぶつかる壮大な戦いや魔法合戦、異種族、亜人間、異形のモンスター、エキゾチックな様々な世界、伝説と予言、魅力溢れる旅の仲間、聖と邪、そして主人公の呪われた運命…とファンタジー小説としてのお膳立ても盛り沢山です。楽しめる物語だと思います。