SFマガジン12月号:カート・ヴォネガット生誕100周年記念特集号を読んだ

SFマガジン 2022年 12 月号 [雑誌]

カート・ヴォネガット生誕100周年記念特集 監修:大森望  

世界中で愛される作家、カート・ヴォネガット。1922年11月11日にインディアナ州インディアナポリスで生まれ、2007年に没したヴォネガットは『猫のゆりかご』『タイタンの妖女』『スローターハウス5』など多くの傑作を残した。その足跡を生誕100周年のいま振り返る。

カート・ヴォネガットといえばオレの青春時代に最も熱中して読んだ作家のひとりで、その作品の幾つかは終生忘れ得ぬものとして心に刻みつけられている。とはいえ、そんなカート・ヴォネガットの事を知らない方もいらっしゃるかと思うので、ここにWikipediaの記事を抜粋しておこう。

カート・ヴォネガットKurt Vonnegut、1922年11月11日 - 2007年4月11日)は、アメリカの小説家、エッセイスト、劇作家。(中略)人類に対する絶望と皮肉と愛情を、シニカルかつユーモラスな筆致で描き人気を博した。現代アメリカ文学を代表する作家の一人とみなされている。代表作には『タイタンの妖女』、『猫のゆりかご』(1963年)、『スローターハウス5』(1969年)、『チャンピオンたちの朝食』(1973年)などがある。ヒューマニストとして知られており、American Humanist Association の名誉会長も務めたことがある。20世紀アメリカ人作家の中で最も広く影響を与えた人物とされている。

10代の頃のオレはSF小説ばかり読んでいた子供だったが、彼の小説を初めて読んだとき、そこにSFを超えた別個のものが存在していることに気付かされた。実のところカート・ヴォネガットはSFの手法を借りた文学小説を書いていた人で、そういった形式の文学を「スリップストリーム文学」と呼ぶらしいのだが、とにかく、荒唐無稽なSF冒険活劇を読んでいるつもりだったのに、人間とその人生への限りなく深い洞察が飛び出してきて驚愕してしまったのだ。だからある意味、初めての海外文学体験がカート・ヴォネガットだったと言えるかもしれない。

こうしてカート・ヴォネガットに傾倒したオレは彼の作品を片端から読みまくったが、彼の人類社会に対する悲観的な態度と真正さを訴える口調の強さが気になってしまい、いつしかあまり熱中して作品を追う事が無くなってしまった。とは言いつつ、日本で読むことができるカート・ヴォネガット作品のほぼ9割は読破していると思う。このブログでも以前こういった記事を書いたことがある。2008年というから相当昔の記事だが。

また、ヴォネガットの亡くなった時にはオレなりに追悼文を書いた。そうか、あれは2007年の事だったのか。

そんなヴォネガットが生誕100周年だというからびっくりである。ヴォネガットは84歳の時に亡くなられたが、今生きていれば100歳という事である(当たり前だ)。そして同時に思ったのは、そんなオレが今年生誕60周年であるという事だ。あまり意識していなかったが、オレとヴォネガットは丁度40年歳が離れていたんだな。

というわけでSFマガジンの特集号なわけだが、大変面白く読ませてもらった。なにより特筆すべきは【新訳短篇】である『 ロボットヴィルとキャスロウ先生』と【新訳エッセイ】である『 最後のタスマニア人』が読めることだ。実はこの両作は未完成原稿で、だからこれまで単行本収録がなかったのだが、こうして読めるのはたいへん貴重な事だろう。ありがとうSFマガジン。あんた意外と凄い奴だな。

あとは【エッセイ・評論・再録】として円城塔×大森望×小川哲による対談、84年のインタヴューの再録や、さまざまな執筆者による「わたしの好きなヴォネガット」が掲載されている(この「わたしの好きなヴォネガット」、なぜ大ファンであるこのオレに執筆依頼をよこさなかったSFマガジン?)。また、【全邦訳解題】【全邦訳作品リスト】ではヴォネガット作品を丁寧に紹介していた。

そんな中、水上文によるヴォネガット評論『分裂を生きる文学――戦後文学としてのカート・ヴォネガット』が非常に鋭利な視点から書かれた読み応えのある評論となっており、今回の特集をピリッと引き締めてくれていた。

それはそれとして、60歳になってもSFマガジンを購入し、あまつさえ公共交通機関で読むことになるとは思いもしなかったな。初めてSFマガジンを買ったのは小学校4年の時だぜ?福島正実が「未踏の時代」とか連載している時だったんだぜ?連載がクラークの『宇宙のランデヴー』だったんだぜ?