生きることのニヒリズムを超えて〜映画『スローターハウス5』

スローターハウス5 (監督:ジョージ・ロイ・ヒル 1975年アメリカ映画)


映画『スローターハウス5』は、自分が最も敬愛する作家、カート・ヴォネガットの代表作である同名小説を、『明日に向かって撃て!』『スティング』のジョージ・ロイ・ヒルが1975年に映画化したものだ。物語は、過去・現在・未来を自分の意思と関係なくランダムに行き来する運命を背負った男の、その数奇な人生を描いている。
主人公の名はビリー・ピルグリム、彼は地球外知性体、トラルファマドール星人に誘拐され、トラルファマドール星の動物園で、やはり誘拐されてきた地球人、ポルノ女優のモンタナ・ワイルドハックと過ごしていた。トラルファマドール星人は4次元世界の生命体であり、過去・現在・未来をひとところに認知し、その全ての時間軸を行き来して生きていた。そのトラルファマドール星人の影響で、ピルグリムもまた、自らの人生のあらゆる局面を、ランダムに生きるようになってしまったのだ。あるときは子供時代を。あるときは幸せな結婚生活時代を。あるときは自らが遭った飛行機事故からの生還と、妻の事故死の瞬間を。あるときは自らが死ぬときを。そしてあるときは、かつて第2次世界大戦中、ナチス・ドイツ軍の捕虜となり、収容所のあったドイツ東部の町ドレスデンで、連合国の無差別絨毯爆撃に巻き込まれ、この世の地獄ともいえる惨禍を目撃した時代を。
この物語で描かれる【ドレスデン無差別絨毯爆撃】は、原作者であるカート・ヴォネガットが第2次世界大戦で実際に捕虜として体験した事実に基づいている。Wikipediaを引用するなら「4度におよぶ空襲にのべ1300機の重爆撃機が参加し、合計3900トンの爆弾が投下された。この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊され、2万5000人とも15万人とも言われる一般市民が死亡した」とある*1。類推される死者の数に大きな開きがあるのは、当時町に大量の戦争難民が流入していた為、実際どれだけの人間が死亡したのかわからない、ということなのだが、最大で見積もるなら広島・長崎の原爆投下や東京大空襲と比すべき夥しい死亡者を出した大規模爆撃だと言うことが出来る。
原作者カート・ヴォネガットはこの自らの体験を小説化しようとしたとき、そのあまりに恐ろしい惨禍のさまを、その恐ろしさゆえに正面から描くことが出来なかったのだという。そして選んだのがSF的な設定を持ち、過去・現在・未来が細切れに交錯する、奇妙に入り組んだ構成を持つ物語だったのだ。そしてこの入り組んだ構成それ自体が、「あまりに正視し難い現実」という作者の"痛み"を的確に表現する構成となっていたのだ。こういったある意味難解になりがちな構成を持つ物語を、監督ジョージ・ロイ・ヒルは絶妙な編集と表現手腕でもって、実に味わい深く、そして痛ましくもまた美しい物語として映画化することに成功している。監督ジョージ・ロイ・ヒルは、「カート・ヴォネガットの息子」とまで呼ばれる作家、ジョン・アーヴィングの『ガープの世界』も後に監督しているが、『スローターハウス5』と同じように奇妙な構成を持つこの物語をも、実に優れた映画作品として完成させている。
物語は一見SF作品のような体裁を持ち、確かに宇宙人やタイムスリップといったSF的な設定が持ち込まれるけれども、その本質にあるのは、生きるということの残酷さ、生きるということの不条理さであり、そしてその残酷で不条理な人生に対して、人はどのようにして対峙すればいいのか、生きるということの理由を見つけていけばいいのか、ということを描いているのだ。禍福は糾える縄の如し、とは言うが、一歩離れて見るならば、運命というのは、単にシーソーの上がり下がりでしかなく、そのシーソーのどちらか一端で、上がっているのか下がっているのかを、一喜一憂しているだけに過ぎないのではないか。良いことがあれば悪いことがあり、悪いことがあれば、良いこともある。そしてその繰り返し。結局、全ては同じこと。つまりは、全ての中心にあるのは実はシーソーに乗っている、ということだけにあり、即ち、我々は、生きて、そして死ぬだけだ、という事実であり、その、生きて死ぬだけの人生の中で、幸福と不幸との狭間に振り回されている、それが人の運命の本質なのではないか。そして人生とは、"そういうものだ"(原作で繰り返し繰り返し使われる言葉)、と言うしかない、その不条理への、圧倒的な【虚無感】。
物語は、細切れにされた人生の断片を、その幸福と不幸を、主人公の"時間を行き来する能力"でもって、まるで"時間が痙攣を起こしたかのように"ランダムに描いてゆく。細切れにされ、並列に描かれる幸福と不幸には、何一つドラマは無い。そこには、幸福にも、不幸にも、一歩引いて接することしかできなくなってしまった人間の、巨大な【虚無感】があるだけだ。けれども、この物語は、そういった人生への諦観を描きながらも、陰鬱な絶望に堕することを、決して善しとしないのだ。人生とは【虚無】だ。しかし、生きるということのニヒリズムの果てに、物語はその先を描こうとする。例え人生が空しいものであろうとも、それでも人生の良い面だけを見て生きていこうじゃないかと、それでも人生を肯定して生きていこう、と。『スローターハウス5』とは、そういう物語なのだとオレは思う。


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