インド70年の熾烈な黒社会抗争を5時間にわたって描く大長編映画『Gangs of Wasseypur』

■Gangs of Wasseypur (監督:アヌラーグ・カシュヤプ 2012年インド映画)


インド映画も割と数をこなしてきたので、この辺でデカいことをやってみようと思ったのである。デカいこと。それはオレがデカいガネーシャ像を購入しさらにもうもうとお香を焚きつめ自らの部屋をインドなテイスト満載にすることであろうか。デカいこと。それは金ピカのインドルックを身に纏いインド映画上映中のマサラナイトに降臨しマハラジャの如く振る舞い鬼神の如く踊り狂うということであろうか。デカいこと。それはインド料理屋に乗り込んでベジタリアン・ノンベジタリアン分け隔てなくスパイスたっぷりのカレーを山のように注文しわんこそばの如く次から次へと飲み干しつつ(注:カレーは飲み物です)さらにうずたかく積まれたもちもちのナンを親の仇の如く貪り食うということであろうか。いやそうではない(というか今まで挙げたこと、全部やることがちっちゃい…)。オレが成し遂げようとしたデカいこと、それは2012年公開、DVD前篇後篇2枚組、上映時間5時間19分に渡るインド映画超大作、『Gangs of Wasseypur』を観ることだったのである(前フリ長い…)。

というわけで『Gangs of Wasseypur』であります。これがまず『PART.1』で160分、『PART.2』で159分のトータル319分、つまりは5時間19分に渡るとんでもない超大作というわけなんでありますよ。ベルナルド・ベルトルッチ監督の大河作品『1900年』ノーカット版が316分といいますからまさにそれに匹敵する長さとなりますな。そしてそこで描かれるのは、インドの小さな炭鉱町ワーセープルを舞台に、1940年代から2010年代にかけての、70年にも渡るギャング同士の抗争です。実はこの作品、現在開催中の『アジアフォーカス・福岡国際映画祭2014』において『血の抗争 Part1, Part2』というタイトルで上映されており、ついでですからそのHPでの紹介文を転載しておきまでょう。

これは、インド版"仁義なき戦い"、"ゴッドファザー"です。Part1とPart2のあわせて5時間20分の大長編ドラマですが、ハマってしまったらやめられない……おもしろくて2部まで一気見してしまいます。実話に基づいて製作された作品で、対立するKhanファミリーとSinghファミリーの三世代にわたる抗争を描いた、超スペクタル復讐劇で、世界中で公開され、評判を呼んでいます。
ドラマは1940年時代から。当時、イギリス植民地支配で炭鉱開発が展開され、その後インド独立でその利権を手に入れたSingh。Singhの手下だったKhanはボスを殺して炭鉱を奪おうと考えるが、それを覚られてSinghに殺される。その息子Shadarは、Singhの弟分に助けられ、孤児として育てられる。そして20年後、大人になったShadarは、父親の敵討ちをしようと、財と権力で地域を牛耳るSinghファミリー(父と息子)の支配する街を血の海にしていく。第1部のラストはShadarが逆襲にあい、撃ちまくられ血まみれになっているが立ち上ろうとする……と、すさまじいけど、カッコいい……そんな場面の連続です。「仁義なき戦い」ファンなら泣いて喜ぶことうけあいです。
●アジアフォーカス・福岡国際映画祭2014 上映作品紹介/血の抗争 Part1, Part2 / Gangs of Wasseypur

物語はまず自動小銃を持った男たちが深夜、とある家を強襲するところから始まります。雨あられと飛び交う銃弾、炸裂する手榴弾、そして次々に倒れてゆく見張りの男たち。襲った者たちは街の有力者にして裏社会のドン、ラマディール・シン(ティグマンシュ・ドゥーリア)の配下。そして襲われている家はラマディール・シンと長きに渡る因縁を持つマフィア、ファイザル・カーン(ナワーズッディーン・シッディーキー)の一家。ここで場面は70年前の1940年代へと遡り、ラマディール・シンとカーンの一家にどのような因縁があったのかが物語られてゆく、というわけです。それはベンガルの小さな炭鉱町を舞台にした、カーン家親子3代に渡る殺戮と報復に染められた抗争の歴史です。そして同時に、イギリス統治からの独立間もないインドの小都市が、裏社会の暗躍も絡められながらどのように発展していったかという歴史を描いたものでもあるのですね。

5時間に渡って描かれる70年の物語をここで細かに説明することはできませんが、この作品を一言でいうならマフィア同士の抗争を軸とした群像劇ということが出来ると思います。映画では対立するシン家、カーン家に関わる膨大な数の人々が現われてはまた消えてゆきます。そこで人々は、争いあうだけではなく、愛しあい家族をもうけ、歓び悲しみ憎みあい、協力しあうかと思えばまた裏切りもするのです。これらの描写はどれも乾いた演出で淡々と物語られてゆきます。血生臭い殺しのシーンですらこの物語では淡々と描かれます。大仰な音楽も気違いじみた怒鳴り声も無く、男たちは無表情に、そしてあっさりと相手を殺してゆくんです。こういった、無慈悲な殺戮と唐突な死、どのような思いも呑みこんで進んでゆく歴史の流れ、その索漠とした無常感こそがこの作品の主役でもあります。

そういった、過度にドラマチックな演出を廃し、カタルシスを抑えることで、逆に登場人物たちの息遣いが間近で聞こえてくるようなリアリズムがこの作品にはあります。そしてそのリアリズムにより浮き彫りにされてゆくのが、インド小都市の歴史の変遷と、そこで生きそして死んでゆく名も無い多くの人々の生活です。この作品は非常に生々しく生活感を描いたものでもあります。そうして描かれる人々の生活の様子を彩るのが、実は音楽なのです。この作品ではありとあらゆるジャンルの音楽がBGMとして流されます。エスニックテイストの長閑な歌が流れてきたかと思うと、次にはロックが、エレクトリック・ミュージックが、さらにはダブステップまでが流れます。その多様性は驚くばかりです。インドの音楽はジャンルではなく「インドの音楽」という一括りになったもの、という話を聞いたことがありますが、このごった煮になっていながらも統一した世界観を感じさせる音楽性、そういった部分でも楽しめた作品でした。


http://www.youtube.com/watch?v=j-AkWDkXcMY:movie:W620