生きろ。世界は美しい。〜映画『ハンナ』

■ハンナ (監督:ジョー・ライト 2011年アメリカ映画)


『ハンナ』は戦闘マシーンとして生まれ育った少女が自らの出生の謎を追い、そして自らを生み出したシステムを抹殺するために戦う、いわば【親殺し】の物語である。

主人公ハンナは遺伝子操作により卓越した身体能力と精神の抑制を持って生まれてきた子供だ。彼女は殺すことに躊躇しない。殺すことに情緒を交えない。そもそも、彼女の行動に、躊躇も情緒も存在しない。それは彼女が完璧無比な機械だからだ。そして機械である、ということは、彼女が人間ではない、ということだ。人にあらざる者、人の心を持たぬ者、にもかかわらず、人の形として生まれてきた者。

ハンナは、生まれてきたときから、【生き延びること】、そして、生き延びるために、【殺す】こと、そのための知識のみを得て成長してきた。世界とは、殺すか、殺されるかの、剥き出しで、殺伐としたものでしかない、そう思い込まされて生きてきた。彼女が雪深いフィンランドの氷原から、現実世界へと戻るための理由、それも、自らを創造したCIA諜報員、マリッサを殺す為であった。彼女にマリッサを殺す以外に、世界に出て行く理由があったのかどうなのか、それは分からない。それは外の世界に触れたかった、という単純な理由だったのだろうか。外界に出て、再び父と会う、それだけしか外に出る理由は描かれない。そして、マリッサを殺した後に、彼女はどうするのか、それも分からない。ただ、自分のそれまでの訓練が、十分機が熟した、それだけを認識して、彼女は外界へと旅立つ。

しかし、特殊部隊に拉致された後、秘密研究所から逃走したマリッサが目にするのは、これまで彼女がフィンランドの隠れ家で得た、百貨辞典の言葉だけで綴られた知識とはまるで違う、不思議と驚きに満ち、音と光と感触に溢れた、生き生きとした世界だったのだ。それは、彼女がはじめて知る、【本当の】世界だった。全てが珍しく、全てが新鮮だ。ハンナは、雪山の中で、音楽さえ知らずに生きてきた。【音楽】とは、複数の音のアンサンブルである、という【言葉】でしか、【音楽】というものを知らなかった。そのハンナが、初めて【音楽】に触れ、その楽しさ、美しさに陶然とする。【音楽】、それは人の【情緒】を揺さぶるものだ。そしてそれは【官能】ということだ。【情緒】を揺さぶられ、【官能】に打ち震える、それは、【生きている】という実感そのものだ。さらに、逃亡の最中に出会う人々の優しさが、ハンナの機械の心を溶かしてゆく。ハンナは、【友情】というものすら、その時初めて知る。そして【友情】が、どれだけ心を暖かくしてくれるかを知る。それは逆に、彼女がこれまでいかに世界の何たるかを知らずに、孤独に、どこまでも孤独に生きてきたかを、如実に炙り出す。

人にあらざる者、人の心を持たぬ者、人ではない戦闘マシーン、そんな彼女が、【生きている】という実感を知る。世界の豊かさに触れ、その生き生きとした感触を手にする。そう、映画『ハンナ』は、「世界は情け容赦無い」と叩き込まれて育った女の子が「世界は美しい」ということを知る映画だったのだ。しかし「世界は美しい」と悟りながらも、彼女を執拗に追う「情け容赦ない世界」を抹殺するために、彼女もまた、非情になって闘わねばならない。それはなんと哀しい宿命なのだろう。

生けとし生けるものにとって世界は、この現実は残酷だ。【生きる】ということはある意味理不尽な重荷を背負いながら続けなければならない行為ともいえる。そのために、人は過酷な現実で【生き延びること】を覚えなければならない。生き延びなければならない時、人は四の五の言っている暇などは無い。そこではちょっとした躊躇は命取りになり、情緒と言う不安定な要素は足かせになる。だからこの世界で、正確無比な機械のようになって生きていかざるをえないことだってある。しかし、この現実は、そして【生きる】ことは、ただひたすら過酷で、殺伐としたものなのだろうか。それならば、人は、何故そんな世界で生きて、生き延びなければならないのだろう?そもそも、人は何故、生きなければならなのだろう?

それは人が、【生】とは、【喜び】のあるものであるということを知っているからだ。生きている【喜び】を再び勝ち得るために、人は生きる。生きているという実感を手にするために、人は生きる。生きること、それは世界の美しさをもう一度手に入れる行為だ。ハンナは【親殺し】のために旅立った。それは自分の呪われた出生に頚木を打つための行為だった。それにより、ハンナは戦闘マシーンという自分と袂を分かち、【人】としての自分を取り戻す。そして【人】として、世界の美しさを体感する。ハンナは生きる。戦闘マシーンとしてではなく、【人】として。生きろ。世界は美しい。

■ハンナ 予告編


ハンナ オリジナル・サウンドトラック

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