奪い尽くされ、焼き尽くされ / ウェルズ・タワー

奪い尽くされ、焼き尽くされ (新潮クレスト・ブックス)

奪い尽くされ、焼き尽くされ (新潮クレスト・ブックス)

夏休みを持てあます少女。認知症の父と過ごす中年男。移動遊園地に集う人々。暴虐の限りを尽くすヴァイキングの男たち―。多彩な視点と鮮烈な語りが、人々の静かな絶望、消えずに燃え残った願い、湧き出す暴力の気配を描き出す。アメリカン・ドリームなき21世紀のアメリカ人の姿とその内面を、絶妙の心理描写と独特のユーモアで浮き彫りにする全9篇。ニューヨーク・タイムズ紙、タイム誌ほか各紙誌が絶賛した驚異の新人によるデビュー短篇集。

ここに収められた9つの短編には、ドラマらしいドラマが存在しない。登場人物たちの日常生活の情景を、その点景を切り抜き、物語は何も解決したりしないまま、ふっと突然画面の明かりが消えるように終息を迎える。にもかかわらずそのラストはどれも深い余韻を残す。それは、生きている限り我々の生活というのは何がしかの形のある結末や、収まりのいい解決を迎えて一件落着し、それでお仕舞いなどということは決して無く、一つの結末は新たな始まりだったり、一つの解決が新たな混乱を生んだりと、連綿と続くものなのだということを作者は知っているからなのに違いない。誰もが何がしかの問題を抱えそれを解決しようと尽力したりその問題に途方に暮れたり無視しようとしたり逃げ出そうとしたりと様々な反応を見せるけれども、人生というのはそれをどこまでも続けて行かざるを得ない途方も無い行為なのだ。『奪い尽くされ、焼き尽くされ』に登場する様々な登場人物たちは、自らの境遇に倦み疲れ絶望し切っている訳でも、希望に満ち溢れ安寧と過ごしている訳でもない。彼らはただ今日という日をなんとか無事に終える為やれるだけのことをしつつも、明日もまたきっと予期せぬ出来事と遭遇してしまうのだろうと感じている。彼らはそんな疲労感を抱えながらもまた明日も生き続けるのだろうと思っている。そのぼんやりとした名指しがたい感慨、生という不確かなものにすがりながら生きざるを得ない感慨、『奪い尽くされ、焼き尽くされ』はそういった様々な人々の生の感触を描いた短編集なのだと思う。