その時、何が起こったのか?/長編小説『異常【アノマリー】』

異常【アノマリー】/ エルヴェ ル・テリエ (著)、加藤かおり(訳)

異常【アノマリー】

「もし別の道を選んでいたら……」 良心の呵責に悩みながら、きな臭い製薬会社の顧問弁護士をつとめる アフリカ系アメリカ人ジョアンナ。 穏やかな家庭人にして、無数の偽国籍をもつ殺し屋ブレイク。 鳴かず飛ばずの15年を経て、 突如、私生活まで注目される時の人になったフランスの作家ミゼル……。彼らが乗り合わせたのは、偶然か、誰かの選択か。 エールフランス006便がニューヨークに向けて降下をはじめたとき、 異常な乱気流に巻きこまれる。 約3カ月後、ニューヨーク行きのエールフランス006便。 そこには彼らがいた。 誰一人欠けることなく、自らの行き先を知ることなく。

フランス人作家エルヴェル・テリエによって書かれた『異常【アノマリー】』は本国で110万部の大ベストセラーとなり、フランスの権威ある文学賞ゴング―ル賞を受賞し、ニューヨーク・タイムズ、パブリッシャーズ・ウィークリーではベスト・スリラー2021に選出されたという長編小説である。そしてそのジャンルは「SF」であるという話だ。最近フランス小説を読む機会が多く、また昨年はマルク・デュガンのフランスSF『透明性』を面白く読んだので、この作品にも非常に興味を惹かれた。

さて『異常【アノマリー】』という面妖なタイトルが付されたこの作品、作中で起こるある【異様な事態】を中心として、それに関わった様々な人々の人生がその後どう変容するのか、がテーマとなる。描かれる「様々な人々」の年齢・職業・性別・国籍は多岐に渡り、それぞれに歴然とした人生の違いがあり、【異様な事態】のその後も千差万別であり、何か一つの決まった結末があるわけではない。

ここで問題となるのは「では作中で起こった【異様な事態】とはなんなのか?」ということになるのだが、それは物語の核心となる部分なのでここで述べるわけにはいかない。最初に「SF」と書いてしまったが、それ自体ですら実はネタバレではある。

ただ先に挙げたマルク・デュガンのSF『透明性』が「SFの名を借りた思考実験」であったのと同様に、この作品も「SFの名を借りた思考実験」となっており、従来的なSF作品のようにSFアイディアの妙味やその衝撃で牽引する物語では決してない。SFアイディアという点においてはいわば『トワイライトゾーン』や『X-FILE』で描かれていそうなレベルではある。とはいえ、その【異様な事態】が発動するまでの緊張感と、不可解な謎に満ちた雰囲気はただものではない。

そしてこの作品の力点にあるのは「その後」を生きる登場人物たちの感情や心理、人生の在り方への注視であり、彼らを取り巻く社会の政治的・宗教的な在り様である。即ち「ある極端な事態に至った時の人間と社会」が「その後どう行動し変質するのか」を描きつくそうというのがこの物語であり、同時に「人間そのもの」がこの作品の中心となるのだ。そういった点において非常にフランス文学らしい作品という事もできると言えるだろう。

人間たちの物語である以上そこには愛とその破綻、社会生活の否応ない変化、生きるという認識そのものの変容が描かれてゆく。その一つ一つがドラマを形作り、時には悲劇的な残酷さや冷徹な死が描かれもする。これらがモザイクとなって構成され、複雑な味わいを残すのがこの作品の面白さだろう。SFファンにも文芸ファンにもお勧めしたい独特の世界を創出した佳作である。

(こちらのサイトで試し読みができます)