哀れなるものたち (監督:ヨルゴス・ランティモス 2023年イギリス映画)
映画『哀れなるものたち』は死亡後に天才外科医により胎児の脳を移植され、世界を一から学習してゆく一人の女性の数奇な運命を描くゴシック・ロマン作品だ。主演を『ラ・ラ・ランド』『クルエラ』のエマ・ストーンが務め、名優ウィレム・デフォー、『アベンジャーズ』シリーズのマーク・ラファロらが共演する。
監督は『女王陛下のお気に入り』『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』を製作したギリシャ出身のヨルゴス・ランティモス。原作はスコットランドの作家アラスター・グレイの同名小説。また、作品は2023年度第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で金獅子賞を受賞、第96回アカデミー賞でも11部門にノミネートされている。
《物語》不幸な若い女性ベラは自ら命を絶つが、風変わりな天才外科医ゴッドウィン・バクスターによって自らの胎児の脳を移植され、奇跡的に蘇生する。「世界を自分の目で見たい」という強い欲望にかられた彼女は、放蕩者の弁護士ダンカンに誘われて大陸横断の旅に出る。大人の体を持ちながら新生児の目線で世界を見つめるベラは時代の偏見から解放され、平等や自由を知り、驚くべき成長を遂げていく。
ヨルゴス・ランティモス監督作品はそれほど多くは観ていないが、その中では『籠の中の乙女』(2009)が抜きんでて異様な作品だった。外界から隔絶され父親から歪んだ世界観を植え付けられる子供たちの物語は果てしなくグロテスクだった。また『ロブスター』(2015)は独身者差別のディストピアを冷たくシニカルに描く不気味な物語だったと記憶している。ヨルゴス・ランティモス監督作品は社会の規約や制度に冷や水を浴びせ、そこに異常進化したか如き別個の社会を幻視する作風を好むのかもしれない。
この『哀れなるものたち』でランティモス監督は、「胎児の脳を移植された成人女性」という”モンスター”を創造する。それは19世紀のゴシックホラー小説『フランケンシュタイン』のポストモダン的展開だ。『フランケンシュタイン』において描かれるのはアイデンティティとアンビバレンツの物語だが、21世紀版『フランケンシュタイン』である『哀れなるものたち』で描かれるのは、「”新しい人類”として生を受けた主人公が従来的な社会の規約や制度を一から学習しながらそれを批評してゆく」という物語なのだ。そういった部分でまさにランティモス監督らしいアプローチの作品だという事ができるだろう。
主人公ベラの行動は最初、子供の脳であるが故に子供そのものの野放図極まりないものだ。それが次に第2次性徴を迎えたかのように食事や性行為の快楽を覚え、次第に成人そのものの論理的な思考を獲得してゆく。しかしベラの急速に発達してゆく知性は、社会の有名無実な決まりごとを善しとせず、彼女は己が魂の求めるものに従い奔放に生きてゆくこととなるのだ。性的・社会的な束縛を拒否した奔放な彼女のこの生き方は、それ即ちジェンターバイアスへの否定という見方もできるだろう。これは「曇りのない感受性を持つ一個の自我が、この社会をどう解釈しどう生きる術を獲得してゆくか」を試論した物語なのだ。
しかし映画はこういった物語性のみが牽引してゆく作品では決してない。まずなにより目を惹くのはその美しい美術と衣装、ピンホールカメラ風の撮影や魚眼レンズを多用した歪んだ映像と、やはり歪んだ響きを持つ音楽だろう。ゴシック作らしい19世紀的なセットや背景には超現実的な彩りが添えられ、色彩は毒々しさ一歩手前の鮮やかさが持ち込まれ(一部モノクロ)、ここがフランケンシュタイン・レディの闊歩する異質な世界であることを強調する。そういった部分で、この作品からはゴシック・ロマンというよりもスチームパンク的なSF作品の感触を覚える。
主演のエマ・ストーン、ウィレム・デフォーやマーク・ラファロといった出演陣を始めどの登場人物も輝きを持ち、この美しくもまた異様な世界を構成する。非常に印象に残る異色作だった。それと後半登場するある女性は、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でブラッド・ピットと絡むヒッピー娘を演じていたマーガレット・クアリーじゃないか?!(あのヒッピー娘ちょっとお気に入りだった。)