ゴシック小説を語るならまずこれを読め!/『ゴシック文学神髄』

ゴシック文学神髄/東雅夫(編集)

ゴシック文学神髄 (ちくま文庫)

ミステリー小説や怪奇小説幻想小説の源流となった……それらがまだ未分化だった当時のゴシック文学の代表作の中から、戦前の日夏耿之介訳によるポオの『大鴉』と『アッシャア屋形崩るるの記(アッシャー家の崩壊)』の冒頭部分、『オトラント城綺譚』『ヴァテック』『死妖姫(吸血鬼カーミラ)』の中編三編の本邦初全訳というセレクト。

ゴシック小説を語るならまずこれを読め!

「ゴシック」とは12~15世紀の建築様式を指す言葉だが、その厳めしさや時代性の在り方を比喩的に用いて美術やポピュラーカルチャーなど様々なジャンルで使われる言葉でもある。そして「ゴシック小説」もその中の一つとなる。

イギリスの18世紀後半から19世紀初めにかけて流行した一群の小説。恐怖小説ともいう。中世のゴシック風の屋敷、城、寺院、修道院などを背景に超自然的怪奇性を主題とする。人物、道具立てに一定の型があり、たとえば、迫害されて長年の間監禁された女性に、圧制的な夫や叔父などが配される。屋敷や財産がその間強奪されて正統な相続人が苦難を味わう。

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アンソロジストであり文芸評論家でもある東雅夫が編集した『ゴシック文学神髄』はそんなゴシック小説の嚆矢となる作品を集めた、まさにゴシック文学の神髄に触れることができるアンソロジーだ。なんといってもゴシック小説の先駆的作品「オトラント城綺譚」が収録されており、この「オトラント城綺譚」と同様に”ゴシック小説の名作の一つ”と謳われる「ヴァテック」も収録、併せて「吸血鬼カーミラ」の名で知られる吸血鬼小説の名編「死妖姫」が収められている点においても「ゴシック小説を語るならまずこれ読んどけ!」という作品が凝縮された画期的なアンソロジーなのだ。

本アンソロジーではこの他、冒頭に幾つかの掌編が収められている。まずはギュスターヴ・ドレの荘厳な挿画も再現されたエドガー・アラン・ポー詩画集「大鴉」、さらに擬古文体で訳された同じ「大鴉」、そしてこれも格調高い擬古文体が馨しいエドガー・アラン・ポー「アッシャア屋形崩るるの記(アッシャー家の崩壊)」(抄訳)。この辺りは「ゴシック文学神髄・序幕」といった導入なのだろう。とはいえ旧仮名遣い文章は読んでいて結構な高難易度だったが……。

オトラント城綺譚/ホレス・ウォルポール

そしていよいよ本編の幕開けだ。まずは「オトラント城綺譚」

18世紀のイギリスの政治家、貴族、小説家、第4代オーフォード伯爵ホレス・ウォルポールによる1764年の小説。一般に、最初のゴシック小説とされ、18世紀後半から19世紀初頭にかけて非常に人気を博すことになる文学ジャンルを開始させた。

舞台はイタリア半島南端に建つオトラント城。ここで行われる婚礼の儀の最中、新郎が巨大な兜に圧し潰され謎の死を遂げるのだ。オトラント城主マンフレッドはその時、遠い昔に為された不可思議な予言の文言を思い出す。それはオトラント城の建立にまつわる血塗られた暗い過去の因縁だった。

さてこの「オトラント城綺譚」、おおよそ250年前に書かれた世界最初のゴシック小説ということから、どれだけ暗く厳めしく晦渋な小説であるのかと危惧しながら読み始めたのだが、これがなんと読み易くおまけに楽しく軽快ですらある物語で逆に驚いてしまった。物語の骨子が騎士道小説なのだ。

悪辣な城主の企みとそれに翻弄される王妃と王女、危機に晒された王女を救うため獅子奮迅の活躍を見せる勇猛かつ純朴な百姓の子倅、そこに立ち現れる謎の亡霊、これらが入り乱れながら、騎士道精神に溢れた血沸き肉躍る冒険小説として成立しているのである。これのどの辺がゴシック小説なのかと思わされるが、やはりゴシック建築の城と宮廷内闘争と超自然的存在といった部分で確かにゴシック小説の要項が成り立っているのだ。ゴシック小説という以前に小説として十分に楽しめた作品であった。

ヴァテック/ウィリアム・ベックフォード

18世紀イギリスの作家、美術評論家ウィリアム・ベックフォードによる1786年に書かれた。千夜一夜物語に感化されて三昼夜で書き上げたという伝説の古典ゴシック小説。

「ヴァテック」はアッバース朝時代のイスラム圏を舞台に、「千夜一夜物語」の如きめくるめく幻想と魔法と伝説に満ち満ちた物語だ。主人公ヴァテックは莫大な富と権力を持つカリフで、神を否定し放蕩を繰り返し、人を人として思わぬ邪悪な男だった。そのヴァテックが悪魔の誘惑により超絶的な財宝の眠る地へと旅し、その途上で出遭う様々な不可思議を描いている。

なにより「千夜一夜物語」譲りの高い幻想性と匂い立つようなエキゾチズム、ヴァテックの贅を尽くした淫靡で煌びやかな暮らしぶり、そのヴァテックの残虐で冷酷な悪逆行為により虫けらのように死んでゆく人々の描写、これら現代の倫理感から果てしなく逸脱した異様さが目に焼き付く物語だった。ここには正義も真正さも存在せず、ただ己の欲望をひたすら貪る悪鬼のような男が神に成り代わって全てを支配し、ひたすら地獄への道行きを繰り広げてゆくという恐るべき内容なのだ。一つの幻想小説としても秀逸である。

死妖姫/ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ

「死妖姫(吸血鬼カーミラ)」19世紀のアイルランド人作家ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュが1872年に著した怪奇幻想文学またはホラー小説。

19世紀オーストリアの人里離れた孤城を舞台に、ここに住まう父娘が謎の馬車の一行からカーミルラという名の奇妙な美少女を預かり、その日から怪異が巻き起こってゆくという吸血鬼譚。ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(1897)に先駆けて著され、ドラキュラ物語の祖とも評される作品。

「吸血鬼カーミラ(本作の訳文ではカーミルラ)」は名前こそ知っていたがこのような物語だという事は初めて知った。まずこの物語では現在一般に流布するニンニクやら十字架といった吸血鬼の弱点が描かれず、吸血鬼は昼間も活動し食事も普通にする。とはいえ夜な夜な忍び寄る怪しげな影と幻想的な悪夢、首筋の二本の歯型といった点はこの作品からしっかりと描かれている。

そして特筆すべきはこの物語に登場する吸血鬼が妖しい美少女の姿をしている部分であり、さらに内容的にいわゆる「百合小説」の骨子を持っているという事だろう。主人公となる10代の可憐な少女ローラとカーミルラは深い友情で結ばれつつ、その奥に淫靡な性的感情が渦巻くさまが描かれているのだ。そしてカーミルラは夜毎ローラの夢に現れ官能的な悦びを味わわせるのである。これは近世に書かれた吸血鬼小説の中でも珍しいものなのではないか。そういった部分でも読み応えのある小説であった。

参考:ゴシック文学を代表する6篇

最後に本書の編者解説に記されていた「小泉八雲の選ぶゴシック文学名作6篇」を挙げておく。順番は発表年代順となる。

  1. ホレス・ウォルポール「オトラント城綺譚」
  2. ウィリアム・ベックフォード「ヴァテック」
  3. アン・ラドクリフ「ユードルフォの怪」
  4. マシュー・グレゴリ・ルイス「モンク」
  5. メアリー・シェリー「フランケンシュタイン
  6. チャールズ・ロバート・マチューリン「放浪者メルモス」