ドイツ女性作家の描く不気味な物語 『その昔、N市では カシュニッツ短編傑作選』

その昔、N市では カシュニッツ短編傑作選 / マリー・ルイーゼ・カシュニッツ (著)、酒寄 進一 (訳)

その昔、N市では カシュニッツ短編傑作選

奇妙な出来事が人々を翻弄する――。 その、巧みな一撃。 日常に忍び込む幻想。 戦慄の人間心理。 戦後ドイツを代表する女性作家の名作を集成した、 全15作の日本オリジナル短編集!

この間ホラー・幻想小説『兎の島』を読んだばかりだが、こういった傾向の物語をもっと読みたくて手にしたのがこの『その昔、N市では カシュニッツ短編傑作選』。作者はドイツの詩人・小説家でフランクフルト大学名誉博士でもあるマリー・ルイーゼ カシュニッツ(1901-1974)。幻想的な15作の短編を日本独自編集した短編集となる。

前述の『兎の島』はこの現実世界から数ミリずれたような居心地の悪い不安を覚えさす作品が並び、さらに結末らしい結末を描くことなく唐突に終わらせることでその異様さをひときわ際立たせた「幻想小説」が並んでいたが、この『その昔、N市では』はもう少し物語の体を成している。その内容も幻想怪異譚のみならず暗鬱とした心理劇、異様な状況、滑稽で皮肉なドラマ、文学寄りの小説、寓話めいた内容の作品など実にバラエティに富んでおり、総じて「奇妙な味」の作品群という事ができるだろう。

例えば「白熊」「幽霊」はごくストレートなゴシック怪談だが、「ジェニファーの夢」や「六月半ばの真昼どき」は不可思議な展開の後にホッとするような結末が付けられる。「ロック鳥」「長い影」「見知らぬ土地」では何も超自然的な事件は起きないのだが、読み終わった後に何か澱のように嫌な気分が残ることになる。中でもパラサイトカップルを描いた「いいですよ、わたしの天使」の読後感の嫌らしさはこの短編集いちと言っていい。

ある種の異次元に迷い込む「四月」は「世にも奇妙な物語」といった感じだが、むしろ主人公女性の関係妄想を意地悪く描いた作品だろう。若いカップルの結婚を親族が寄ってたかって邪魔をする「長距離電話」は書簡体小説ならぬ電話体小説の体裁がユニークで、内容はブラックユーモア作。「精霊トゥンシュ」は奇怪な伝説を描く怪異譚。「その昔、N市で」はゾンビ物語の亜種であると同時にゴーレム伝説が加味され、さらにひとつの寓話として読むことができる。

最も不気味だった作品は「船の話」。誤った船に乗って旅立ってしまった女から親族のもとに手紙が届く。そこでは彼女を見舞った怪異がじわじわと彼女の正気を奪っていく様が記されていた。同書収録の「ルピナス」はナチスドイツから逃れようとする姉妹を描く陰鬱な作品だったが、この「船の話」で描かれる逃げ場のない閉塞感、絶望感もまた、戦中戦後のドイツを生きた作者の遣る瀬無い心象であったのかもしれない。