ボニー・ガルマスの『化学の授業をはじめます。』を読んだ

化学の授業をはじめます。/ ボニー・ガルマス (著), 鈴木 美朋 (翻訳)

化学の授業をはじめます。 (文春e-book)

舞台は1960年代アメリカ。 才能ある化学の研究者エリザベスは、いまだ保守的な男社会の科学界で奮闘するが、無能な上司・同僚からのいやがらせ、セクハラの果てに、研究所から放り出されてしまう。 無職・未婚のシングルマザーになってしまった彼女がひょんなことからゲットした仕事、それはテレビの料理番組「午後六時に夕食を」で料理を指南する出演者だった。「セクシーに、男性の気を引く料理を」というテレビ局の要望を無視して、科学的に料理を説くエリザベス。しかし意外にも、それが視聴者の心をつかんでいく……。

この『化学の授業をはじめます。』、TwitterXでちょっとした評判になっていて、早速購入して読み始めたら、これがもうあまりの面白さに555ページの厚さがあったにもかかわらず2日で読み終えてしまった。いやあ最高だった、素晴らしかった。作者の名はボニー・ガルマス、これがデビュー作となるらしいのだが、なんと全世界で600万部売り上げたという「2022年で最も売れたデビュー小説」となるのらしい。

物語の主人公は女性科学者エリザベス、しかし舞台となる60年代アメリカでは女性の科学者なんて歯牙にも掛けられてなくて、彼女の務める研究所でもあくまで男性科学者の”助手”かお茶くみ扱い。だけどエリザベスは持ち前の物怖じしない根性と、強固で論理的な思考から、そんな差別なぞものともせず堂々と自分の意見を述べていた。しかし剣呑で陰湿な男性社会である研究所では、そんなエリザベスは単に煙たがられ嘲笑の対象になるしかなかった。そんなある日エリザベスはノーベル賞候補も噂される花形研究員男性と知り合う事になる。

それから数年後、あれこれあってシングルマザーとなり、それが理由で研究所からも追い出されたエリザベスは、ひょんなことからTVの料理番組の司会を務めることになってしまう。元から独立独歩の姿勢で生きているエリザベスはTV番組の決まり事、とりわけ「セクシーな主婦がニッコリ笑顔で家庭料理を作る」というコンセプトをことごとく無視、さらに「料理は科学です」のモットーの元、独自の視点から料理を紹介し、これが全米の主婦層に大人気となってしまうのだ。

こんなストーリーからコメディタッチの内容を想像してしまいそうだが、確かにそういった要素もあるにせよ、全体的には「男性社会における女性の生き難さ」をテーマにした、波乱万丈で胸の張り裂け避けそうな物語が展開している。エリザベスの前には嵐の海を往く小舟の如く、人生の大波の高みと奈落が怒涛となって押し寄せる。その中で彼女は自分自身を決して他者に譲り渡さず奔走する。時に傷付き、時に幸福の時を体験し、最悪の連中と最高の理解者の狭間を綱渡りしながら、「禍福は糾える縄の如し」を地でゆく圧倒的なストーリーが描かれてゆくのだ。

阿漕な男権主義社会で孤軍奮闘し自らの道を切り開いてゆく女性科学者の姿は痛快極まりないものだ。それが困難であればある程主人公への共感が高まってゆく。これは女性読者にとって圧倒的な支持を生み出すだろう。しかし男のオレが読んでいても彼女の姿には共感を覚えるし応援したくて溜まらなかった。男権主義社会はなにも女性だけでなく、オレの如き男にとってもうんざりさせられるものだからだ。イビツさを孕んだ社会は結局誰の幸福にも寄与しない。

それと同時に、この物語にはマンスプレイニングを描いただけでない小説の豊かさがある。人生の困難、人生の素晴らしさ、人生の不思議さ、そして人生の複雑怪奇さ。それと対峙し、しっかりと前を向いて生きてゆこうとする気概。作者は読者に向けて次々と豪速球を投げてくる。そう、次々とだ。読む者の臓腑にズバンズバンと音を立てて響き渡る、「面白さ」の豪速球を矢継ぎ早に投げつけるのだ。これは只事ではなく、そして只事ではない物語だ。それはあたかもジョン・アーヴィングガープの世界』の2020年代バージョンと言ってもいいぐらいだ。

この『化学の授業をはじめます。』が面白過ぎたので小説のドラマ化作品『レッスン in ケミストリー』を観るためにApple TV+にも加入した。『キャプテン・マーベル』のブリー・ラーソンが主演だが、制作総指揮まで勤めている部分でオレの中のブリー・ラーソン株が大幅に上昇!しかもMCU映画なんかより全然魅力的なんだよな。