『トロイア戦争全史』は最高にヒャッハーッ!!な歴史絵巻だったッ!?

トロイア戦争全史 / 松田治

トロイア戦争全史 (講談社学術文庫)

トロイア戦争の全貌を伝える144話の物語。壮大なギリシャ神話の一大要素、トロイア戦争を主題とするギリシャ、ラテンの古典作品は数多い。しかし、いずれもが戦争の一部を記すのみで、その全容を語るものはない。本書は、これら古典群の記述をジグソーパズルを組み上げるように綴り合わせ、発端から終焉に至るまで、戦争の推移と折々のエピソードを網羅して、その全貌を描いた物語である。

トロイの木馬」で知られるトロイア戦争は、紀元前1700年から紀元前1200年頃、ギリシャのミュケーナイを中心とするアカイア人連合軍と小アジアトロイア王国との間に起こったとされる戦争である。それはトロイア王子パリスによるスパルタ王メネラーオスの妻ヘレネー誘拐に端を発したもので、ヘレネー誘拐からトロイア陥落による戦争終結まで20年の時を有したという。

西洋古典学者、松田治による『トロイア戦争全史』は、『イーリアス』『オデュッセイア』など様々な古代文献に断片的に記述されたこの戦争の全貌を、神々と人間たちの織り成すひとつの神話的物語として組みあわせ、戦争の発端から終焉までを詳細に説明した著作となる。オレは特に古代史に興味のある人間ではないのだが、以前フランス古典文学を集中して読んでいた際、ラシーヌによるトロイア戦争をテーマにした悲劇『フェードル、アンドロマック』に非常に感銘を受け、トロイア戦争についてもっと知ろうと思いこの本を手に取った。

とまあ面倒臭い話はここまで。読む前は晦渋なんじゃないかと心配していたが、実際読み始めてみると、あまりの面白さにページを繰る手が止まらなくなった。なにしろもう、とことん野蛮で血生臭く、現代的な倫理観や民主主義など一切存在しない、肉欲と暴虐と鋼鉄のマチズモだけが君臨する世界が描かれているのである。それがギリシャ側であろうがトロイア側であろうが、やることは殺し奪い支配することだけだ。そこには善も悪もなく、ただ力の強い者だけが勝ち残る世界なのだ。アキレウスだのオデュッセウスだのの英雄の名前も出てくるが、要するに連中はどれだけ大量にぶっ殺したか、あるいははかりごとに長けていたのかを称賛されているのだ。

それはここに登場する神話の神々ですらたいして違いはしない。ここに登場する神々もまた人間たち同様、嫉妬し謀り、裏切り対立し、奪い殺し犯し、優柔不断で朝令暮改、怠惰で癇癪持ちで見栄っ張り、地位や権勢に五月蠅くプライドばかり高く、感情的でヒステリックで我儘という、おおよそ破綻したパーソナリティーしか持ち合わせていない連中ばかりなのである。ただし多分これら神々は、気まぐれで予測不可能で時として壊滅的な猛威を振るう大自然そのものを暗喩したものなのだろう。

パリスがヘレネーを強奪し、その後ギリシア勢が戦争準備を始めるのに10年、トロイア王国の対岸にある浜辺に拠点を築いて戦争を開始して10年、その10年間にギリシア勢はどう糧食を確保していたのかというと、トロイア王国と協定を結ぶ近隣諸国を襲い強奪し焼き尽くしていたのだ。ギリシア勢諸国とトロイア王国とは荒海を隔てて大きく隔てられていたので、補給路もへったくれもないのである。数万の兵が戦地に10年駐留するために、いったいどれだけの強奪と殺戮が繰り返されたのだろうか。

その後誰もが知るようにトロイアは陥落するが、ここでギリシア勢はトロイの男たちを皆殺しにし、女たちは皆慰みものとして奴隷にされ、町には火が放たれ全ては灰燼の中に沈んだ。今で言う「三光作戦」、「殺し尽くし焼き尽くし奪い尽くす」という行為は既に太古の戦争で当たり前のこととして行われていたのである。そんな中、トロイア滅亡を生き延びたトロイア側の武将アイネイアースは、イタリア半島に逃れてその後ローマ建国の祖になったという物語があり、こういった部分に歴史の深淵を感じるのだ。

これら、徹底した暴虐と残虐さ、その中で律儀に血の繋がりを強調したがる縁故主義、その縁故主義から生まれる仁義と掟、こういった側面はまさにヤクザやらギャングやらその他歴史に名を遺す暴力結社の世界で、人間の本質的な部分などは数千年前からなーんにも変わってないし変わったと錯覚させておいて実は臭いものに蓋をしているか目を背けているだけだと思えてしまう。だから今でもそして未来でも多分人間というのはどこまでも残虐になれるし虐殺しまくれるだろう、そしてそういう部分も踏まえて人間は人間というものなのだろう、だから『マッドマックス』の世界は確かに存在して人はいつだって血と泥と灰に塗れて「ヒャッハーッ!!」と雄たけびを上げるのだろう、そういう論理性皆無の脱線しまくったことにまで思いを馳せた物語なのであった。みんなも読もう!