ところで宮崎アニメ(含むプロディース作品)っていうのは、実は宮崎駿の精神史、魂の変遷みたいなもんだと思いますよ。だから作品発表順にロケーションとシチュエーションを見ていけば、ちゃんと理由と意味があると思う。
まず、
- 風の谷のナウシカ
- 「こんな下らない現実なんか世界なんかみんな滅びちゃってしまえばいいんだ。」
- 天空の城ラピュタ
- 「現実なんて嫌いだから子供になって退行しちゃおう」
- となりのトトロ
- 「ああでも昔の田舎の日本は本当によかったよ」
- 魔女の宅急便
- 「それにこんな日本よりも風光明媚な海外のほうが過ごしやすいよね」
- おもひでぽろぽろ
- 「いや、まあ、現代だって、田舎に限るなら、日本は捨てたもんじゃないかもしれないな」
- 紅の豚
- 「なんか最近自信も付いてきたな。外国限定だけど、世の中それほど悪くないかもな」
- 平成狸合戦ぽんぽこ
- 「百歩譲って現代の日本の都市部に近づいてきたよ。くだらねえな、でもここで生きるしかないのかな」
- 耳をすませば
- 「現代の日本の都市部。もう腹くくっていくしかない。ここで、生きてゆこう。」
- もののけ姫
- 「決めた。ここで生きてゆくんだ。だから君にも言おう。生きろ、と。」
ここで判りますが、宮崎の最大の決心は実は「耳をすませば」で行われたのではないでしょうかね。
ここで宮崎は腹をくくって、そして「もののけ姫」で徹底抗戦に出る訳です。ワタシ自身はあの映画は,「森とそれを守るもの」というキーワードから、ある意味ナウシカの続編、姉妹編、精神的双子じゃないかと思ってるんですよ。そしてこれで宮崎の左翼的ベシミズムがきれいに一巡して、それで次のステップを踏めたんじゃないのかな。
だから実は、大ヒットした「もののけ」よりも、「耳をすませば」って、かなり重要な作品だと思いますよ。空想と妄想から現実の大地へ、ピタッと足を付いた瞬間が「耳をすませば」じゃないですか。オレ実は手前味噌ですがジブリで一番好きな作品は「耳をすませば」なんです。
そしてその後の「千と千尋の神隠し」は言わずもがなでしょう。
もはや宮崎に迷いはない。この夏に公開の「ハウルの動く城」もどう転んだって期待以上の作品に仕上がってるでしょう。