三鷹にあるジブリ美術館に行った翌日は練馬にある練馬区美術館に行ってきました。ここで開催されている『日本の中のマネ ―出会い、120年のイメージ―』展を観に行ったんですね。それにしても前日に新宿経由で吉祥寺に行き、この日は池袋経由で練馬に行ったわけですから忙しいもんです。
さて練馬区。上京して40年以上経ちますが、練馬区には足を踏み入れた事は無いような気がします。練馬区にある石神井公園は昔読んでいた漫画(『ど根性ガエル』)によく登場していたのでなんとなく知っています。やはりカエルが多くてサングラスを額に引っ掛けたTシャツの少年がいてしゃくれ顎の寿司職人がカブに乗って出前していたりする土地なんでしょうか(オレも古いな)。
今回観に行った『日本の中のマネ ―出会い、120年のイメージ―』展は「19世紀フランスを代表する画家エドゥアール・マネ(1832‐83)の日本における受容について考察する展覧会」となります。
《展覧会概要》我が国における洋画黎明期の美術家や批評家たちに見られるマネからの影響については、断片的に指摘されることはあってもまとまった形で示されたことはありません。明治から昭和初期までに見られる作品や批評を通して、日本における「マネとの出会い」について振り返ります。(中略) そこで、現代の日本におけるマネ・イメージを探るにあたり、美術家の森村泰昌や福田美蘭の作品から、それぞれの独自の視点で展開するマネ解釈を紹介します。
展示では「日本に所在する17点のマネの油彩画(パステル画を含む)のうち7点のマネ作品を中心に、印象派や日本近代洋画、そして資料などの約100点を通して、明治から現代にかけての日本におけるマネ・イメージに迫る」ことを目的としています。
マネと言えば物議を醸した《オランピア》《草上の昼食》、誰もが知る《笛を吹く少年》《フォリー・ベルジェールのバー》といった名作を生み出したフランスの画家ですが、この展覧会ではまずマネの美術史における位置付けを模索してゆきます。
マネは近代絵画の創始者と呼ばれていますが、それはそれまでの古典主義的な絵画技法から脱し、ベラスケスやミレーに代表されるレアリズム美術に影響を受けながら、ルノアールやセザンヌなどその後の印象派画家への橋渡しになった存在であるということなんですね。逆に言えばマネはレアリズム美術にも印象派にも属さない非常に独自な画家であったという事なんです。この展覧会ではそんなマネをポスト・レアリズム画家と位置付けています。
とはいえ展覧会でのマネの展示作品は、それほど印象の強くない油彩7点とどちらかというと地味な版画作品が40点余りといった内容で、「マネ作品を愉しむ」といった見方は出来かねます。展示はむしろそんなマネの影響を受けた日本近代洋画に力を入れていますが、これもまあ「確かに影響を受けているね」と確認作業だけで終わってしまうような作品であることは否めません。また、マネをテーマにした日本現代美術作品も並びますが、森村泰昌の作品はヴィヴィッド過ぎてオレには下品に感じたし、福田美蘭の作品はちょっと考え過ぎかな、と思えてしまいました。ただ1点、小磯良平の《斉唱》だけは強い輝きに満ちた作品で、これはしばらく魅入ってしまいました。
そういった部分で若干寂しい内容ではありましたが、この展覧会では展示作品ひとつひとつに付けられたキャプションが膨大かつ詳細で、むしろこれを読み解いてゆくのが面白い展覧会でした(ちゃんと全部読みました)。このキャプションの熱量があったればこそ「マネの美術史における位置付け」に興味を持てたし、もっとマネを知りたいとさえ思えたんですよね。『日本の中のマネ ―出会い、120年のイメージ―』といったピンポイントな切り口も実際のところ悪くないんですよ。ただやはり展示の規模と予算と作品がそれに見合わなかったということなんじゃないかなあ。そういった部分ではキュレーターさんにエールを送りたい気持ちになりました。