板橋区立美術館「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」展

先日は板橋区立美術館で開催されている「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」展を観に行きました。板橋区立美術館はオレの住まいから電車で1時間、JR成増駅で下車してからさらに徒歩20分ほどの場所にあります(ちょっと遠かった)。まだ寒いかなと思ってコートを羽織って出掛けたんですが、途中で暑くなってしまいました。

実は最近全然美術展に行ってなかったんですが、これはただ単に飽きてしまったからなんですよ。一昨年は相当頻繁に美術館に通っていたんですが、沢山の美術展に行くことで、12世紀ゴシック美術から20世紀抽象芸術までの美術ジャンルを、一通り満遍なく観る事ができました。それにより、大雑把ですが西洋美術史の全体像が把握できたので、もういいかな、と思えてしまったんですね。

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で、結局オレの好きな美術ジャンルはなんだったのかな?と考えるに、これがシュルレアリズム絵画とポップアートなんですね。それなので今回の「シュルレアリスムと日本」展は久々に観に行きたいなあと思い出掛けたんですよ。

話は脱線しますが、オレも東京暮らしは長いですけれど、今まで板橋区って足を踏み入れたことがないんじゃないか?と思ってたんですよ。ところがブログを調べてみると、10年ほど前に 荒川南岸で開催された「いたばし花火大会」に行っていたようなんですね。という訳で人生2度目の板橋区!(どうでもいい話ですいません。)

《展覧会概要》1924年アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表して100年。フランスで誕生し詩や思想、絵画に多大な影響を及ぼした芸術運動は、当時の日本の画家たちを魅了しました。1920年代後半からシュルレアリスムを先駆的に試みたのは古賀春江東郷青児、福沢一郎をはじめとする人々でした。1930年代には若い画家や画学生たちがエルンストやダリの作品の影響を受け、表現の幅を広げます。さらに靉光、北脇昇らによる日本のシュルレアリスムを象徴する作品が描かれました。しかし、戦時中にシュルレアリスムは危険思想として監視の対象となるとともに、戦死する画家も現れ、活動は困難を極めます。それでも戦後、その影響は絶えることはなく、山下菊二をはじめとする画家たちは混迷する社会と向き合いながら、日本特有のシュルレアリスムの作品を生み出したのです。

『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本|板橋区立美術館

先に書いたようにシュルレアリズム絵画って好きな美術カテゴリで、エルンスト、マグリット、キリコ、デルヴォータンギー、ダリなど、どれも好きな画家です。ただ彼らは皆西洋絵画の画家たちで、日本のシュルレアリズム絵画ってまるで知らなかったんですね。そういった部分で今回の美術展はとても興味深いものがありました。東郷青児《超現実派の散歩》(1929年)などは大変有名な作品ですが、これが日本のシュルレアリズム絵画の先駆けだったという事は初めて知りました。

東郷青児《超現実派の散歩》1929年

展示作品は約120点、主に1920年代から1950年代までの日本のシュルレアリズム絵画が公開されています。展示は製作年代順に、先駆者たちの登場と拡散、そしてその最盛期へと連なってゆきますが、エルンストとダリの影響の強い作品が多く目につきました。当時エルンストやダリの登場が、美術界にいかに衝撃を持って迎え入れられたかが如実に伝わってきました。

しかし日本が太平洋戦争に突入する時代になると、戦争への不安を描く作品が目に付くようになります。シュルレアリズム絵画が戦中に弾圧を受けたということも初めて知りました。そういえばアドルフ・ヒトラーも第2次世界大戦中シュルレアリズム絵画を頽廃芸術として排斥していましたね。展覧会に作品の展示された画家の幾人かが戦死していたり戦地で病死していたりという事実を知ったのは衝撃的でした。そして戦後、ずたずたになった日本の傷跡をシュルレアリズム絵画の形で描く作品で締めくくらるんですね。

今回の展覧会は、日本のシュルレアリズム絵画を紹介するだけではなく、それが戦争によってどのような影響を受けることになったのかを提示している部分で優れたものを感じました。

板橋区立美術館で4月14日まで開催しています。

古賀春江《鳥籠》1929年

杉全直《跛行》1938年

浅原清隆《多感な地上》1939年

平井輝七《月の夢想》1938年

靉光《眼のある風景》1938年

山下菊二《新ニッポン物語》1954年