■ファイナル・アンカル / アレクサンドロ・ホドロフスキー(作)、ホセ・ラドロン(画)、メビウス(画)
R級探偵ジョン・ディフール。彼は今何かを思い出そうとしながら、酸の海に向かってまっさかさまに落下している。ロボット警官の飛行艇に救助された彼は、突然ある名前を思い出す。ルス・デ・ガラ―それはかつて彼が愛した女性の名前だった。折しも世界はテクノが創り出したメカミュータントと肉食ウイルスによって消滅の危機に瀕していた。世界を救うためには真の愛を知る唯一の存在、ジョン・ディフールとルス・デ・ガラが再び結ばれなければならない。はたして彼はルスを見つけ出すことができるのか?ホドロフスキー&メビウス『アンカル』のその後を語った後日譚。メビウス自身が同一の原作に基づき作画を担当した幻の未完成作『アフター・アンカル』を併録!『アンカル』サーガ、ついに完結!
その1.ホセ・ラドロンの『ファイナル・アンカル』
伝説のバンドデシネ『アンカル』の物語のその後を描く『ファイナル・アンカル』が刊行された。『アンカル』にはその前日譚を描く『ビフォア・アンカル』が既に存在しており、これにより『アンカル3部作』のとりあえずの完結となる。
『アンカル』はカルト映像作家アレクサンドロ・ホドロフスキーとバンドデシネ界の至宝メビウスがタッグを組み、フランスのコミック誌『メタル・ユルラン』において1980〜1988年まで連載された作品だ。銀河の星々を経巡りながら宇宙と人類の存亡を賭けて繰り広げらるその物語は、ホドロフスキーの深遠なる神秘主義とメビウスの卓越した描線により眩いばかりに華麗なスペース・ファンタジー大作として完成している。…とはいえ、主人公はもともとスケベで自分勝手なだけの冴えないおっさんであり、決して正義を連呼する四角四面なヒーローなどではない。こんな非力で凡庸な存在が已むに已まれず敵と戦い、最終的に宇宙の真理へと到達してしまう、という部分がユニークな作品でもあるのだ。
この『ファイナル・アンカル』は前作において銀河の平和を取り戻した筈の主人公がまたもや記憶を失い、そしてまたもや銀河の危機に直面してしまう、という物語である。今回の敵は宇宙から全生命存在を抹殺し、邪悪なる機械だけが跋扈する世界に変えてしまおうと目論むメカミュータントである。それと拮抗する勢力として善なるメカミュータント軍勢も登場する。この「善と悪の戦い」において、勝敗を決する鍵となるのが、我らが情けないヒーロー、主人公のジョン・ディフールであり、彼の持つ唯一無二の「愛の力」だけがこの宇宙を救うとされているのだ。オープニングは『アンカル』同様地下都市最深部にある酸の海へ真っ逆さまに落ちてゆく主人公の描写から始まるが、これは実は前日譚『ビフォア・アンカル』も全く同じ描写から始まっている。『アンカル3部作』は物語にしてもイメージにしても同一モチーフの反復が見受けられるが、これはホドロフスキー神秘主義による永劫回帰的なストーリーテリングによるものであるのかもしれない。
この『ファイナル・アンカル』で特筆すべきはホセ・ラドロンによるグラフィックの息を吞むような巧さだろう。バンドデシネにしてもアメコミにしても超絶的な技巧を持つアーチストは多々いるが、このホセ・ラドロンの絵には見入ってしまうような巧さがある。なにより未来都市、宇宙船、異形の建造物、キャラクターのコスチュームなど、これらSFストーリーに重要な世界観をもたらすデザインが突出しており、それらがひしめき合い熾烈な戦闘を繰り広げている絵などは見ていて溜息が出る。そしてコンピューターグラフィックの賜物であろうが、一コマ一コマの描き込みが恐るべき細かさで、そのコマに何が描かれているか眺めているだけで時間が経つ。逆に、これらのコマが小さいためにフラストレーションが溜まるのも確かで、少なくともこの本の1.5倍の大きさの形態で出版してもらいたかったぐらいだ。このような「魅せる」グラフィックなら、日本のマンガのように大ゴマを多用してもよかったとも思う(でも本の厚さも価格も3,4倍になるんだろうなあ…)。
その2.メビウスの『アフター・アンカル』
さてもうひとつ特筆すべきはホセ・ラドロンによる『ファイナル・アンカル』ストーリーの後に、メビウスの手による『アフター・アンカル』が収録されていることだろう。そもそも『アンカル』の後日譚として最初に企画され出版されたのはこの『アフター・アンカル』なのだが、物語途中でメビウスが降りてしまい、未完のまま頓挫してしまっていたのだ。『ファイナル・アンカル』と原作を同じにしているので、未完であっても話の続きは『ファイナル・アンカル』を読んでいれば事足りるのだが、しかし話の流れに微妙な違いがあるのも確かだ。
それよりも問題は、あのメビウスのグラフィックがいささか精彩に欠くということだ。頓挫した作品であるということからも、そもそもメビウスが乗り気でないまま描いたということも考えられるし、手書きからCGへの移行にメビウスが上手く対応できていなかったということも考えられるが(グラフィックが手書きかCGかは未確認)、なにしろ大雑把で魅力に乏しいグラフィックなのだ。
そんなことを思いながら頭に「?」マークをたっぷり浮かべつつ読み進んだのだが、実はなんと、こちらのメビウス・バージョンのほうがストーリーの流れが理解し易く、ホセ・ラドロンよりも大きなコマを使っている為ダイナミックな読み応えがあるのだ。しかも、リアルさを追求したホセ・ラドロンと違い、どちらかというと抽象的なメビウスのグラフィックは、ホドロフスキーの神秘主義思想を実に巧み物語に盛り込むことに成功している。『ファイナル・アンカル』が「善と悪の戦い」「愛の力」といったストーリーを紋切型に落とし込み、グラフィックそのものの醍醐味だけで見せていたのに比べ、『アフター・アンカル』はホドロフスキー思想をきちんと噛み砕きグラフィックの上で体現しているのである。いうなれば、正編である『アンカル』のテーマを最も正当に引き継いでいるのはやはりこの『アフター・アンカル』だったのだ。
なぜこの作品が頓挫したのかは謎ではあるが、もし完結していたのであればホドロフスキー宇宙のその神秘を鮮烈に画面に焼き付けた作品として完成したであろうことは想像に難くない。ただしそれだとホセ・ラドロンの超絶グラフィックとも出会えなかったことを考えると、悩ましいところである。
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