きのう何食べた?(1)(2)/よしながふみ

きのう何食べた?(1) (モーニング KC)

きのう何食べた?(1) (モーニング KC)

きのう何食べた?(2) (モーニング KC)

きのう何食べた?(2) (モーニング KC)

オレの職場の所属長O氏は大の漫画好きである。そのO氏がある日オレに訊いたのだ。
「フモさん、「きのう何食べた?」って漫画知ってる?」
「ああ、知ってますよ。丁度今読んでいるところです」
「あれ面白いよね」
「そうですね、面白いです」
「あれってゲイが主人公なんだよね…」
「そうですね…」
「…」
「…」
おおーいナニ意味有りげに沈黙しとんのじゃいッ〜〜!
よしながふみの『きのう何食べた?』はおさんどんの得意な弁護士でゲイの主人公と、そのパートナーや様々な人々の織り成す日々のドラマを描いたものである。物語自体は実にありふれた日常的なことしか起こらないのだが、その合間に必ず主人公がレシピ豊富な家庭料理を作るところがミソ。この料理と物語は必ずしも関わりがあるわけではなく、ある意味唐突に料理シーンが始まったりもする。レシピは現実的に役に立つものだけれども、決して料理漫画やグルメ漫画といったものでもない。
この辺が最初不思議に感じて読んでいたのだが、これは料理を作ることで頭の中をニュートラルに戻す、という行為なのだろう。日々起こるトラブルや常に付いて回るしがらみ、これらの事柄に苛まれそうになった時、一度自分の手元足元である「日常」に戻ってみる。素の自分に還ってみる。これが主人公にとっては料理をする事の中にあるのだろう。この漫画に漂う奇妙に「普通」な感覚は、常に「日常」へと戻ろうとする強固な意思の力のせいであるのだろう。
正直なところ料理を作っている過程のモノローグは飛ばして読んでいた。料理好きの方ならふむふむと読んでいるところなのであろうが、まともに料理を作らないオレにとっては呪文みたいなもんだからである。しかし料理を作っている本人にとってもこれはある種の呪文なんだろう。ちちんぷいぷいでもメーリさんの羊、でもいいが、日常生活では自分自身に戻る為の呪文・自身を呪縛する為の行為に似たものを誰でも持っているのに違いない。オレの場合は…ネットでバカ記事を見ている時か?
主人公がゲイなのは単に作者の好みなのかもしれないが、作中の主人公とパートナーはゲイというよりもむしろモノセックスな雰囲気があって、「料理を作る役割」という社会的なセオリーさえ作品は軽く飛び越えてしまっているような気がする。それと、都会の片隅で二人の男性が淡々とした暮らしを営むというその姿は、『聖☆おにいさん』の裏ドラマのようにさえ見え、こんなひっそりと静かで枯れた共同生活が近頃は好まれるのかな、なんてちと思った。