サラエボの花 (監督:ヤスミラ・ジュバニッチ 2006年ボスニア・ヘルツェゴヴィナ映画)

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボ。10数年前起こったボスニア紛争の傷跡がようやく癒えかけてきたこの街で、シングル・マザーのエスマ(ミリャナ・カラノヴィッチ)は12歳の娘サラ(ルナ・ミヨヴィッチ)と二人きりの生活を続けていた。生活は厳しく、政府からの見舞金は微々たるもので、夜のアルバイトをしていてさえ娘の修学旅行費用が賄えるかどうかの瀬戸際だった。そんなある日、サラは母エスマに”父親は戦死したシャヒード(殉教者)なのだから、修学旅行費用は免除される、だから学校に証明書を出して”と懇願する。だがしかし、エスマは頑なに証明書を出そうとしなかった。そこには、ボスニア紛争においてエスマが体験した恐ろしい過去が秘められていたからだった。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争。1992年から1995年まで続いたこの戦争は、旧ユーゴスラビアからの独立後に起こったセルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人の民族的対立によって巻き起こされた内戦である。3年半にわたる戦闘で死者20万人、200万人の難民を出すという第2次世界大戦後のヨーロッパにおける最悪の紛争となった。さらにこの紛争ではおぞましい『民族浄化』がなされていた。『スレブレニツァの虐殺』と呼ばれるクロアチア人によるボシュニャク人男性8000人の殺害の後、残った婦女子は強制収容され、クロアチア人の血が混じった子供を出産するまで延々と集団レイプが繰り返されていたのだという。

そういった背景を知りながらこの映画を観たのだけれど、最初の興味は復興後のボスニア・ヘルツェゴヴィナはいったいどんな国になっているのだろう、ということだった。単純に、馴染みの無い見知らぬ国の人々の生活を見てみたかったのだ。ヨーロッパとは一口に言っても、スラブ人文化というのはラテン人文化と微妙に違うものがあり、この映画でもナイトクラブでかかっていた音楽がスラブ風のメロディだったのが面白かった。戦後10数年とはいえ、首都サラエボの光景はヨーロッパのごくありふれた街の様に目に映り、一見それなりに復興は遂げているように見えたが、やはり街角には爆撃を受けたたまま遺棄されたと思しき廃ビルが建っており、そしてこの映画にあるように、人々の心からは決して戦争の恐怖は拭い去られていないのだろう。

じゃれあったり、喧嘩したりといった母と娘のよくあるような光景。12歳という難しい年頃に差し掛かってきた娘と、その対応に四苦八苦する母親。それだけを観ていれば、普通の家族のドラマであるかのように錯覚してしまう。しかし母エスマの瞳はいつも倦んだような虚無感に満ちている。彼女が勤めるナイトクラブの喧騒もどこか刹那的で、男達はセックスと賭け事の話しかしない。エスマと知り合った男は「いつかきっと父の遺体を見つけたい」と告げる。娘はボーイフレンドと戦争の遺物である拳銃を弄び、「もっと撃ちたい!」と狂喜する。エスマが娘を抱きしめて、「あなたが最も大事なものなのよ」と呟く、普通の映画なら感動させるようなシーンでさえ、アパートのどこかから響くビデオゲームの電子音がそれに被さってしまう。ありふれた街並みのように見える世界を覆う、この殺伐とした寒々しさ。これこそが、ボスニアの戦禍が巻き起こした荒廃なのだろう。

映画は戦場も、血も死体も描かない。絶叫も断末魔もここでは聞こえない。ただ鎮魂歌のような静かな歌だけが、冒頭と終盤で歌われる。戦争が引き起こした痛みを、人々の日常の光景の中から少しづつ浮かび上がらせてゆくこの手腕は、女流監督ならではのものだという気がする。拭い去れない忌まわしい過去というのは確かに存在し、そこから希望のある未来へ繋げていくのはあまりにも困難なことなのかもしれない。物語のラストはほのかな明るさを帯びて終わるけれども、これはまだ物事の手始めに過ぎない。ただ、母親が子供を愛する気持ちの揺ぎ無さと、新しい生命はかけがえの無いものであり、それこそが希望のきざはしとなるものなのだ、というメッセージを込めて、この物語は終わる。

■Grbavica Trailer