■戦場でワルツを (監督:アリ・フォルマン 2008年イスラエル映画)
1982年。レバノン紛争のさなか、ベイルートにおいてパレスチナ人難民キャンプ虐殺事件が発生した。《サブラ・シャティーラ虐殺事件》である。
3日間に渡る“サブラ・シャティーラ難民キャンプ大虐殺”が始まった。ファランジスト党民兵は、「休憩と食事」以外は、「睡眠時間さえ惜しんで」残虐の限りを尽くした。イスラエル兵は、民兵に弾薬と食事を与え、壊れた武器を交換してやり、夜間は照明弾を上げ続けた。更に、徐々に包囲を狭め、散在する遺体や崩れかけた家の入り口に“ブービートラップ”を仕掛けて回った(事後の被害を拡大するためだ)。戦後、民兵の多くはイスラエルに亡命したが、イスラエルでは監獄に収監されるなど酷い差別を受けたという。
大虐殺による死者、重傷者の数は、諸説あるが子供、老人、女性を含めて千名を超えると言われる(身寄りが無い一家が爆殺された例などは人数が判らないため)。
22年前、惨劇があった〜サブラ・シャティーラ大虐殺
作戦のコードネームは"カサチ"、アラビア語で"切り刻む"という意味であった。上記引用のHPでは犠牲者千名あまりとなっているが、三千人という説も存在する。この映画『戦場でワルツを』は、レバノン紛争に派兵され、この《サブラ・シャティーラ虐殺事件》の惨劇を目撃した衝撃により一部の記憶を無くした元イスラエル兵が、20数年を経て自らの無くした記憶の根源となった事件の真実に迫るセミ・ドキュメンタリー・アニメである。
映画は監督であるアリ・フォルマンを主人公とし、彼をはじめとする実在の人物たちが実際に体験した事実の証言という形で進行する。開国以来国民皆兵制をとっているイスラエルでは、18歳になると男女問わず兵役に就かされる。アリら登場人物たちはまだ二十歳になるかならないかの年齢でレバノン侵攻に赴くが、そこで彼らが体験したものは戦争の不安と恐怖、夥しい死、そして混乱。ここで注目すべきなのはこの映画があくまでイスラエル兵士の個人的な視点であるということだ。紛争と虐殺の当事者にあたる立場にありながらイデオロギー的には単なる"子どもの視点"以上のものはない。その乖離が彼らに大きな衝撃をもたらし、そしてイスラエル人もまた戦争によって傷つくのだ、という当たり前の事実を教えてくれる。
そしてこの映画をユニークにしているのがアニメーションという手法をとっていることだ。アニメーションで描かれることにより単純化され幻想的に彩られた光景は、戦争のおぞましさ生々しさといったものを殺ぐ半面、戦争の只中にいてビルを破壊し人々を殺戮しているということが個人にとっていかに非現実なものであるかを浮き彫りにする。それはタイトルにもなった、"狙撃兵が狙う戦場であたかもワルツを踊るかのように回りながら機関銃を乱射する男"の情景の非現実さにも呼応する。
もうひとつ、このような手法をとられたのは映画のキーワードが《記憶》であるという部分に起因するように思う。あまりにも強烈な苦痛や衝撃を伴う記憶を、人は生のままとどめておくことが出来ない。そのとき記憶は修飾され歪曲されあるいは消去され、別の形を持ったものとして人の中に存在することになる。この映画の主人公が惨禍の記憶を無くしたように。そしてその他の証言者たちの記憶を映像化したものもまた、どこか非現実感を漂わせ、彼らの戦場での衝撃の強さが、その記憶にどのようなバイアスをかけていたのかをうかがい知ることが出来る。しかしこの映画は、最後の最後で、本当の真実を、生の映像でもって観る者に叩き付けることにより、それまでのアニメーションの映像の効果を逆に思い知らせることになるのだ。
イスラエルを巡る中東の情勢はあまりに複雑怪奇だ。ただでさえ歴史に疎い自分は映画を観る前にせめてレバノン紛争のことでも予習しておこうとWikipediaの「レバノン内戦」やら「レバノン侵攻」やらを読み齧ってみたが、一夜漬けの悲しさ、そこから分かったのは様々な国家や派閥がお互いを貪り合う、出口の無い迷宮じみた混乱だけだった。この映画『戦場でワルツを』は、その混乱と惨禍の一端を知らしめる作品のひとつとして、そしてそれがイスラエル兵の視点から描かれたものであるということに、強い意義を持つ作品だといえるだろう。