悪魔と夜ふかし (監督:コリン・ケアンズ&キャメロン・ケアンズ 2023年オーストラリア映画)
TVのバラエティ番組に”悪魔憑きの少女”を呼んだらホントに悪魔に憑かれていて局内大パニック!?というシャレのつもりがシャレにならなくなったホラー映画です。この番組にダチョウ倶楽部が出演していたら「聞いてないよォ!?」と連呼しまくったことでしょう(オレも古いな)。主人公となる司会者ジャックを『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』のデビッド・ダストマルチャンが演じ、『モーガン・ブラザーズ』のコリン&キャメロン・ケアンズ兄弟が監督を務めます。
《STORY》1977年、ハロウィンの夜。放送局UBCの深夜のトークバラエティ番組「ナイト・オウルズ」の司会者ジャックは、生放送のオカルトライブショーで人気低迷を打開しようとしていた。霊聴やポルターガイストなど怪しげな超常現象が次々と披露されるなか、この日のメインゲストとして、ルポルタージュ「悪魔との対話」の著者の著者ジューン博士と本のモデルとなった悪魔憑きの少女リリーが登場。視聴率獲得のためには手段を選ばないジャックは、テレビ史上初となる“悪魔の生出演”を実現させようともくろむが、番組がクライマックスを迎えたとき思わぬ惨劇が起こる。
この『悪魔と夜ふかし』 、SNSでは「面白かった」と大評判で、オレもやっと観ることができたのですがこれが評判に違わぬ面白さ、面白いだけじゃなく「よくできてるなー!」と感心してしまいました。とはいえ観る前には『バトル・インフェルノ』というホラー映画とシチュエーション被ってるなあ、とちょっと心配してたんですよね。『バトル・インフェルノ』はインチキ心霊動画配信チャンネルに本物の悪魔が現れ惨劇が繰り広げられるという物語なのですが、実際『悪魔と夜ふかし』 と見比べるなら同工なれど異曲であり、『悪魔と夜ふかし』にはこの映画ならではの独自性が盛り込まれていました。(『バトル・インフェルノ』を紹介したブログ記事はこちら)
では『悪魔と夜ふかし』の独自性は何か?というならこれはまず70年代のTV局を舞台にしているということでしょう。この当時のレトロな風俗と空気感を盛り込みむことにより、『エクソシスト』をはじめとする70年代ホラーのテイストと、このころ世界を震撼させたカルト宗教「ガイアナ寺院」のおぞましい集団自殺事件を否応なく想起させるものになっているんですね。これは悪魔憑きの少女がカルト宗教事件の生き残りだったという物語設定に表れているでしょう。同時に、70年代独特のざらざらとしたガサツな社会性、モラルなきメディアの在り方も加味されているように思えました。
そしてもうひとつの特徴は、これが単に「悪魔憑き」の不気味さを見せることを主眼とした作品なのではなく、主人公ジャックが精神的に追い詰められ破滅してゆく過程に「怖さ」を見出そうとした作品であるということでしょう。主人公ジャックはTV司会者としては既に落ち目で、起死回生のためになんとしてでも視聴率を取らねばなりません。それにより彼は不気味な事故の多発する番組を進行させてしまいます。しかしその「恐怖の根源」は遂に彼に牙を向け、ジャックは狂気へとひた走るのです。ジャック演じるデビッド・ダストマルチャンの浮かべる「曖昧さの果てに破綻しつつある表情」がその狂気を雄弁に物語ります。
物語は前半部に特別な怪異を持ち込むことなく進行してゆくため、ここを退屈と思われる方もいるかもしれません。しかしこの前半にベタな番組風景を垂れ流すことにより、物語のリアリズムの地固めをしているということなんですよ。この手法はホラー作家スティーヴン・キングの小説に顕著です。キングの多くの小説はその大部の小説の前半部において平凡な日常を積み重ねるだけであり、そして後半部でそれを破壊しにかかるのです。キングはこの『悪魔と夜ふかし』を絶賛していますが、それはこういった物語話法に自身との共通項を見出したからではないでしょうか。
こういった構成の地道さ、表出する70年代の薄暗さ、収録中のTV番組内のみで進行してゆくという息苦しさ、さらに主人公ジャックの抱える闇の部分といった点で、映画『悪魔と夜ふかし』はただ面白いだけではなくひとつ図抜けたホラー作品になっていたと感じました。むしろ昨今の残虐なホラーではなく、シェイクリィ作品を思わせるどんよりした不気味さが醸し出されたホラー作品といった部分で、オレ的にはかなり気に入った作品でした。