『ピンナップス』は1973年にリリースされたボウイの初期のアルバムである。時期的には『アラディン・セイン』(1973)の後、『ダイヤモンドの犬』(1974)の前。その内容は、ボウイの全キャリアにおいて唯一の全編カヴァー曲アルバムだった。ボウイ最高傑作と言われる『ジギー・スターダスト』のイメージを脱却し、原点回帰を目指した作品であり、発売時は全英1位に輝いたというから、ボウイの思惑はファンに見事に受け入れられたのだろう。
とはいえオレの中では、この『ピンナップス』はさして重要ではないアルバムであり、正直、ほとんど存在を無視していたアルバムだった。それは「カヴァー曲」という部分にボウイらしさを感じなかった、ボウイのある種ねじくれた音楽センスをまるで見出すことができなかったからというのがある。当然それは前述の「ボウイの原点回帰」という要素があったからこそなのだろうが、ここでのボウイはなんだか無邪気過ぎるように思えたのだ。だから大昔アルバムを購入して聴いた時はとてもつまらなく感じたし、その後ボウイの様々なアルバムをレコードからCDに買い替えた時も、このアルバムだけはスルーしていた。
ところがいつだったか、いつものようにTwitterをうろうろしていたら、「最初に買ったボウイのアルバムが『ピンナップス』だった」という方がいらっしゃって、ああ、そういや『ピンナップス』の事は随分無視していたなあ、これはもう一度ちゃんと聴くべきかなあ、と思ったのである。で、早速CDを購入し数十年ぶりに聴き直すことになったのだが、これがなんと素直に楽しいアルバムだった。まず、既にこの世におらず新作など望むべくもないボウイの、それほどちゃんと聴いていなかったアルバムを改めてきちんと聴く、というのが新鮮だった。大袈裟に言うならボウイの未発表音源を聴かされているような新鮮さがあった。
そして、このアルバムのそもそものコンセプトである「原点回帰」という部分が、そこで目指したストレートなロックンロールであろうとした音が、痛快極まりないものとして耳に響いたのだ。さらに言うなら、実は最近、ザ・フーの面白さを発見したのだが、そのザ・フーと同時代的なUKロックの楽しさがこのカヴァーアルバムには網羅されていて、そしてそこに「ロックファンだった少年時代のボウイのルーツ」を見出し、甘酸っぱい気持ちになれたのである。
思えばボウイの死後発表された未発表アルバム『TOY』も、こんな具合の「原点回帰」アルバムだった。『TOY』も最初聴いた時は音が素直過ぎてピンと来なかったのだが、聴き返すほどに良さが分かってきたアルバムだった。聴いているとリラックスして楽しみながらアルバム制作しているボウイの姿が浮かんでくるのだ。ボウイはたまにこういった「原点回帰」アルバムを作って自分をリセットしていたが、それ自体が創造的な音楽を作る為に必要な事だったんだろうな。