ポケットの話、その他の話

オレが小学生になったかならないかの子供の頃の話。
いつも両手をズボンのポケットに突っ込んで歩く癖があった。TVドラマのタレントか何かに影響されたのかもしれない。それはもう、四六時中ポケットに手を突っ込んでいた。母はだらしない、と、見るに見かねて、オレの持っているズボンのポケットを手が突っ込めないように全部縫ってしまった。でも、今でも、ポケットに手を突っ込んで歩く癖は直らなくて、ジーンズでも何でも、手を突っ込みまくって歩いている。
別の話。
ある日オレはジャンパーを買ってもらった。読売ジャイアンツのロゴが入ったやつだった。オレはガキの頃から野球なんててんで興味もなかったが、近所のおばちゃんたちに「まあ、川上監督(当時の巨人軍の監督)みたいねえ。」と言われ、なんだか知らないが有名な人に似ているということが嬉しくて、それから毎日毎日そのジャンパーを着ていた。
別の話。
近所に住む友達の越前谷くんは、いつもポカン、と口を開けている子だった。いつも口を開けているから、この子はいつも口で息をしているのだろうかと思った。そして気付くと、オレもいつも口をポカン、と開けているのに気付いた。格好悪い、と思い、それからオレはいつも口をへの字に結んでいることにした。
別の話。
子供の頃、樺太犬*1を飼っていた。真っ黒で、月の輪熊みたいに首のところが白かった。名前は「クロ」。ちっちゃな、子犬の頃から飼っていたよ。でも大きくなってから逃げ出してね。いなくなっちゃったんだ。そして何年か経ったある日、そのクロをみかけたんだ。すっかり野犬になっちゃってたんだけど、同じような野犬を何匹も従えてオレの前を走り去っていった。すげえ、クロは犬の王様になったんだ、とその時は思い、なんだかオレは誇らしかった。
別の話。
オレの母親は物を片付けるのが苦手で、いつも洋服やなんかを部屋中に散らかしていた。オレはそんな散らかった部屋が恥ずかしくて、友達が遊びに来るときには、こっそりそれを片付けていた。ある日これは本格的に掃除しなきゃな、と思い、母親のスカーフを頭にかぶって主婦気分になってから掃除をした。そして片付け終わった後、「主婦も疲れるもんねえ」と一人呟いてみた。
別の話。
オレの親父はきちんと仕事はしていたものの、定職には付いていなかった。いまではガテンと呼ばれているような肉体労働者で、声さえかけられればどんな仕事でもしていた。左官、土建、大工、工場、魚獲り、いろんな仕事をしていた。家は漁師の納屋を借りて住んでいたBIMBO暮らしだったが、家の家具や風呂場まで、全部親父の手作りだった。でも下手糞でね。本棚は平行じゃないので、同じ高さの本が並べられなかったよ。1階の部屋の窓の外に張り出した踊り場?まで作り、天気のいい夕方はそこにちゃぶ台を出して夜空の下で鉄板焼きを作って家族で食べた。でもオレはちゃんとした仕事じゃない親父が恥ずかしくて、学校の社会の時間なんかにみんなのお父さんの仕事を言ってみましょう、なんて授業があったときは、うつむいて、「なんの仕事かわかりません」って答えていた。でも何回かそんなことがあって、これじゃあいけない、と思い、ある日同じような授業があったとき、「オレの親父は日本一の日雇い人夫です!((C)「巨人の星」)」と答えた。そしたら、教師に「ふざけるな」と言われて廊下に立たされた。
別の話。
子供の頃の記憶は何時から残っているんだろう、と思う。オレの記憶は4歳ぐらいからだ。どんな子供でもそうであるようにオモチャで遊ぶのが好きだった。そんなオレを見て両親がよく言っていたのは、3歳くらいのときにとても立派なトラックのおもちゃを買ってあげて、オレはそれをとても気に入り、毎日のように遊んでいたと言うんだ。でも、ある日、弄り回しすぎて壊してしまったんだという。本当に本当に気に入ってたオモチャだったんだよ、と両親は口を揃えて言っていた。オレは、そんなに気に入っていたオモチャで遊ぶのは、どんなに楽しかったのだろう、と想像し、そんな凄いオモチャと遊んでいたことを憶えていない自分に憤慨した。自分の失われた過去に後悔する4歳児!

そしてまた、別の話…。