レイジーさんへの公開書簡

いつもありがとなレイジー。ネットって物事が大げさに伝わるから風邪ぐらいならこっそり書くことにしたのだよ。入院とか手術とかだったらすぐ書くだろうけどな。幸いそういう体験は未だ無いのだな。若いというのはよく言われるし素直に嬉しいよ。でもそれはオレには家庭のような現実的なしがらみが無いからなのだと思うよ。もっと言っちゃうとオレは現実を現実と思ってないからなんだろうな。それが正しいか否かはまた別の話だけれどな。
いつか書こうと思っていたけれど、30代40代の家庭があり子供がいてそういう現実に四苦八苦している人たちが幸福だと思える社会じゃないとそれは駄目だろう、ということは頭にあって、だからオレはたまさかユースカルチャーと戯れてはいるけれど、それが世の中で一番だと本当は思っているわけではないのだよ。ただオレはオレの立場でモノを言うだけなのだけれどな。
しかし快楽物質が頭から出まくっているような日常というのは、これは努力しなければ出来ないものだ!そもそも幸福なんてぇのは、それを強く望まなければ成れるわけが無いのだ。オレは口を酸っぱくしていいたいのは、「人は自分の想像できないものにはなれない」ということだ。これホントだよ。
不平不満や愚痴や憤怒は、それはあるのだけれど、それにかかずらう体力精神力そして時間の無駄を考えると、決してペイするものではないというのがよくわかるのだよ。
だったら別の事を考えていたい。だって人生は短いじゃないか!オレが音楽が好きなのは、たった3分ぐらいの時間の中にリズムとメロディに対するありったけの想像力が込められているからだ。人間の耳というのは原始的であるのと同時に正直でね。どんなに音楽に疎い人でも1秒たらずのリズムの遅れでさえ気が付く。それは文章や映像と違い誤魔化しが難しいものなんだ。その中で切磋琢磨する想像力にオレはリスペクトする。音楽は、それをなによりダイレクトに表現する。オレはいつだか、はてダで知り合いになれた方に「フモさんは映画や本やいろんなことが好きみたいですが、本当に好きなのは何なんですか?」と訊かれた事があって、その時は「音楽です」と即答したよ。何がいいたいかというと、オレは、他人の想像力に触れているときが一番幸福なんだ。だからね。その愉悦の中にいる限り、オレは幸福なのだと思うわけなんだよ。それが、オレの、幸福の原点です。
飲むと確かに喧しいんだオレは!なにしろオレの行動の基本は”楽しい”だけだからな!それはもう動物的なもんなんだが、理屈ばっかり言うことが当たり前になっている人は、人というのは、即ち自分はひとつの動物であるということに気付くべきだと、これもしみじみ思ってるんだがな。まあ、前回はちょっと緊張したというのもあるんだが、実はあのオフ会はレイジーさんと会ってみたかったから企画したものでもあるのだよ。リアルの会話では煙幕を張りまくるがオレの癖なんだが、今度は素面で話せるといいな。わかんないけどな!
以前書いたカート・ヴォネガットの記事で、「愛は負けるが親切は勝つ」と彼が言っていたというようなことを書いたが、実はこの日記ってオレがとある女子にフラレたことがきっかけで書き始めた日記なのだよ。最初はそれなりに荒れていたんだが、書き続けると自分に客観的になってくるのと同時に、いろんな人がオレに声を掛けてくるようになったんだよ。なんでこの人たちはオレに親切なんだろう、と思ったよ。そして、なんだ、生きてるのってそんな捨てたもんじゃねえな、と思えたんだよ。だから自分は孤独だ!とか自分は理不尽な目に合っている!とかもう思わないようにしたんだ。これが今のオレであります。