ロックン・ロール・オア・ダイ。〜映画『ペルシャ猫を誰も知らない』

ペルシャ猫を誰も知らない (監督:バフマン・ゴバディ 2009年イラン映画


音楽は好きかい?
オレは音楽が好きだ。音楽を聴くのが好きだ。音楽を聴きながら、歌を口ずさんだり、身体を揺らしたり、踊ったりするのが好きだ。オレの生活の中では、いつも音楽が流れていて、朝から晩まで、ことあるごとに、いつも音楽を聴いている。音楽の無い生活?まあ、そんなものも、あるのかもしれない。音楽が無くても、本当は、人は生きていける。どんなに惨めでも、人は生きていけるように。でも音楽があれば、そんな惨めさは、いくらかは無くなってくれる。そしてある種の惨めさは、消し飛んでくれる。音楽があるということは、人が、生きやすくなる、ということなんだ。ひょっとしたら、生きているのが、結構楽しいものだと思わせてくれるものなんだ。音楽で世界なんか変わらないけど、音楽は、自分を変えてくれる。オレの人生を、いくばくか、楽しいものにしてくれた音楽。オレは、音楽を愛しているし、そんな音楽に、感謝をしている。
そんな音楽を、禁じられたら、いったいどうしたらいいんだろう?本を読むことを禁じられた、『華氏451度』というフィクションがあるけど、この『ペルシャ猫を誰も知らない』は、音楽が禁じられた世界を描いた映画なんだ。そして、この映画は、『華氏451度』みたいなフィクションなんかじゃない。この映画は、宗教上の理由から、ロックなどのカテゴリに属する音楽を禁止しているイランの国、その首都テヘランに住み、逮捕や投獄の危険を犯しながら、それでも音楽を続けていこうとする若者達の姿を描いた、現実世界の物語なんだ。
正確に書くとイランでは音楽そのものを禁止しているんじゃなくて、テヘランの街では普通にイランポップスが流れていたりする。でも非イスラム的な音楽に対する規制や検閲はとても厳しく、演奏するにしても公演の自由が著しく制限されているということなんだ。その中で若者たちは、インターネットなどで普通に接することが出来る西洋的な音楽に憧れ、それを自分でも演奏したいと思いつつそれが果たせない。その軋轢と辛苦を描いたのがこの映画というわけなんだ。
この映画はセミ・ドキュメンタリーだ。だからドラマチックな物語展開を期待していると肩透かしをくらうのでそこんところだけ注意が必要。物語はロンドンで演奏したいと願うインディ・ロック・バンドの、二人の男女が中心となる。彼らが自らの夢を実現するため奔走するなかで、テヘランの様々なインディ・ロック・バンドと出会う。それはメロコア風からフォーク、ヘビメタ、ブルース、ラップと様々だ。イランの伝統音楽風のバンドもこの映画には出てくる。そして彼らは皆実在のミュージシャンであり、いわばこの映画は、テヘランアンダーグラウンド・ロック・シーンのショウケースでもあるんだ。彼らはイランで音楽活動することの困難と危険さを訴える。当然、映画に出ていること自体も危険なことであり、この映画の監督バフマン・ゴバディも、この映画で当局の不興を買ったらしく、イランを離れたまま帰ることができなくなっているという。
そしてなによりも、彼らの演奏が本当に素晴らしい。おまけに、きちんとカッコイイ。どのジャンルのどのバンドも、すっと心に入ってくる、訴えかけてくる音を持っている。イランという国で生きることの憤りを歌った曲もあるけれど、その本質にあるのは、人間なら誰もが胸に抱える、やるせなさや、ささやかな幸福への憧れを歌ったものだ。そういった音楽の普遍性を、この映画に登場するバンドは、皆持っている。そして、人として普遍的に感じることを禁じられているという事実に、彼らの不幸と悲しみがある。けれど彼らは歌うことを止めない。音楽が、いかに生きることに潤いを与え、そして勇気を与えてくれるのか、彼らは知っているからだ。だからこそ彼らの音楽は、どこまでも真摯で、胸を打つ。音楽の為に戦うという現実がここにある。全ての音楽ファンに是非観て欲しい映画、それがこの『ペルシャ猫を誰も知らない』なんだ。

ペルシャ猫を誰も知らない 予告編


No One Knows About Persian Cats: Music From The Motion Picture

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