地には平和を、子供たちには素敵なベッドタイム・ストーリーを。

■ベッドタイム・ストーリー (監督:アダム・シャンクマン 2008年アメリカ映画)


ディズニー映画『ベッドタイム・ストーリー』である。主人公である冴えないホテル従業員スキーター(アダム・サンドラー)が姉の二人の子供の面倒をみる羽目になり、寝かしつける為にベッドルームで適当な作り話を披露するが、何故か作り話の中の出来事が現実のスキーターに起きるようになってしまう。もともとしょーもない男であるスキーターは、子供たちに聞かせる話を自分に都合良いように語り始め、自分の現実も都合良く変えようとするが、寝物語はとんでもない方向へ脱線し始め…というお話である。

フィクションが現実に、というのは映画でもよく見かけるテーマで、最近のディズニー映画『魔法にかけられて』では御伽噺の主人公がそのまま現実にやってきてしまったり、『ジュマンジ』や『ザスーラ』あたりではボードゲームの進行がそのまま現実に反映してえらい事になったりと、子供や家族向けのファンタジーでは結構喜ばれる題材なのかもしれない。しかしこれが妄想が現実に、というお話になっちゃうとクローネンバーグあたりのグチャグチャホラーになってしまうから面白い。子供は夢と希望と空想で、大人になると挫折と絶望と妄想。大人になるとか現実を知るとかいうのは単に暗くなることなのか?

主人公スターキーはおバカと言うほどではないが結構トホホな男で、子供たちに話す御伽噺も、自分の願望を並べているだけのメリハリも何も無い凡庸なもの。しかし子供たちがそれじゃつまんないとあれこれ尾ひれを付ける事で、御伽噺はどんどんドタバタになっていく。映画ではスキーターや子供たちの話すそんな御伽噺がSFXで豪華にビジュアル化され、中世風ファンタジーや西部劇、『ベン・ハー』を思わせる古代ローマの戦車競技場、さらには宇宙ステーションを舞台にしたSFまで、幅広く話を膨らませている。

そんな御伽噺の荒唐無稽な展開が、何故か現実になっちゃうのだが、それが何故現実になっちゃうのか?は映画では説明されない。想像するに脚本の最初の段階では、映画に登場する気色悪い大きな目ん玉をしたモルモットの仕業で…みたいなことになっていたのだろうが、説明的になると逆にファンタジーとして陳腐になってしまうという理由でカットされたのではないだろうか。確かに理屈や種明かしはこの物語ではあまり必要無くて、むしろ現実化される御伽噺のとんでもない展開に、どのようにトホホな主人公が右往左往させられるかを楽しませる作りになっている。

でまあラストはディズニーお子ちゃま映画っぽく「夢と希望を持ち続けよう」みたいな脳天気でお目出度いスローガンでこの映画は終わることになるのだが、実はオレは意外とこのスローガンが嫌いではないのだ。子供に夢と希望を持ち続けることを説くのは簡単だが、そんなことを説く大人が現実ってのはねーなんて訳知り顔でシニカルぶっこくことがオレにはさもしいことのように思えて仕方がない。勿論スローガンだけで世の中どうにかなるとは毛ほども思ってないが、オレのように年寄りになるといろいろと一巡しているので、シンプルなスローガンが「あり」だったりもするのである。

確かに皮相的なまま無批判に夢だの希望だのと唱えることは虚しく愚かなことだろう。しかし現実のままならなさを知った上で、あえて夢や希望について考えるのが大切なんじゃないのか。…などともっともらしく書いたが実の所オレは皮相的だろうが無批判だろうが夢も希望も大好きなんだよ!あと「幸福」ってやつも大好きだ!どうだ参ったか!やっぱこれからは夢と希望だよ!そうだよったらそうなんだよ!スカしたことばっか言ってる小賢しいだけのヤツなんて一生ウンコにまみれて生きてきゃいいんだ!と言う訳で今後のオレのテーマは「夢と希望」に決定。反論は受け付けない。

■ベッドタイム・ストーリー 予告編

http://www.youtube.com/watch?v=y5OSDeungmk:MOVIE