「アルゼンチンのホラー・プリンセス」ことマリアーナ・エンリケスのホラー短編集『寝煙草の危険』を読んだ

寝煙草の危険 / マリアーナ・エンリケス (著)、宮﨑真紀 (訳)

寝煙草の危険

寝煙草の火で老婆が焼け死ぬ臭いで目覚める夜更け、 庭から現れどこまでも付き纏う腐った赤ん坊の幽霊、 愛するロック・スターの屍肉を貪る少女たち、 死んだはずの虚ろな子供が大量に溢れ返る街…… 〈文学界のロック・スター〉〈ホラー・プリンセス〉エンリケスによる、12篇のゴシカルな恐怖の祭典がついに開幕!!!

最近怪奇幻想趣味の小説をちまちまと読んでいるが、今回読んだのは「スパニッシュ・ホラー文芸」と呼ばれるジャンルで脚光を浴びている”アルゼンチンのホラー・プリンセス”ことマリアーナ・エンリケスの短編集『寝煙草の危険』。「スパニッシュ・ホラー文芸」というと以前エルビラ・ナバロの『兎の島』を読んだことがあるが、あれも不安と不条理感の溢れる不気味な短編集だった。エンリケスはあのカズオ・イシグロから絶賛され、現代スペイン語圏作家の中でも高く評価されている作家だという。

マリアーナ・エンリケス作品の特徴はほとんどの主人公がまだ10代から20代と思われる年若い女性であるということだ。彼女らは皆年若い女性ならではの壊れやすい繊細さと不安を抱え、そぅいった生き難い現実にうんざりし、心の中にどこか殺伐とした心象を抱えている。物語ではそういった彼女らの心象を反映するがごとく不気味で不可解な事件が起こり、不条理極まりない結末を迎えることになる。それと子供に関係したホラー作品が多く、それが作品群に非常に痛ましい印象を残す。そこからは虐待、貧困や孤独、あるいは望まぬ妊娠や堕胎といった背景を感じる。

例えば『ちっちゃな天使を掘り返す』は庭から見つかった子供の骨にまつわる幽霊噺。『湧水池の聖母』は恋人の出来た友達への強烈な嫉妬が異様な展開を迎える。『ショッピングカート』は郊外住宅地を襲う不可思議な呪いを描く。『井戸』では外出恐怖症の少女が自らの恐るべき出自を知る。『哀しみの大通り』はまたしても子供たちの呪いの物語。『肉』は急逝したロック・スターと少女ファンとの不気味な事件を描く。『寝煙草の危険』は不安に満ちた妄想が狂気へと発展する。『わたしたちが死者と話していたとき』ではウィジャボードに熱狂する少女たちが異様な事件に遭遇する。

短編集のハイライトとなるのは『戻ってくる子供たち』だろう。これは行方不明になっていたはずの子供たちが大挙して発見されるが、その後ある恐るべき事実が発覚する、という恐怖譚だ。物語の背景にあるのはアルゼンチンの悪化した治安や犯罪と貧困の問題、その中で蹂躙され時には命まで奪われる子供たちの悲劇であり、そういった社会への不信と怒りである。エンリケスの短編はどれもが非常に高い文学性も兼ね備えており、恐怖要素を取り去ってみれば実に先鋭的な感性で描かれた短編文学として読むことができるのではないだろうか。

【収録作】ちっちゃな天使を掘り返す/湧水池の聖母/ショッピングカート/井戸/哀しみの大通り/展望塔/どこにあるの、心臓/肉/誕生会でも洗礼式でもなく/戻ってくる子供たち/寝煙草の危険/わたしたちが死者と話していたとき/訳者あとがき