パラダイス・モーテル / エリック・マコーマック (著)、増田 まもる (翻訳)
ある町で、外科医が妻を殺しバラバラにしたその体の一部を4人の子供の体内に埋めこんだ。幼いころ、そんな奇怪な事件の話をしてくれたのは、30年間の失踪から戻って死の床に伏していた祖父だった。いまわたしは裕福な中年となり、ここパラダイス・モーテルで海を眺めながらうたた寝をしている。ふと、あの4人の子供のその後の運命がどうなったか、調べてみる気になった……。
不気味な物語である。不気味で、奇怪な物語である。
物語の発端は主人公が子供の頃、祖父から聞いた恐ろしい話だ。祖父は過去、ある男から猟奇的な殺人事件のあらましを聞かされたのだという。それは「ある男が妻を殺しバラバラにしたその体の一部を4人の子供の体内に埋めこんだ」というものだった。主人公は成人後、海外を飛び回る中で、かつて祖父から聞いた事件に登場する、4人の子供たちのその後の運命を次々に知ることになる。しかもそれは、たまたま偶然が重なる中で知ったことだったのだ。主人公は次第にその事件と不可思議な偶然に憑りつかれてゆく。
連作短編集『パラダイス・モーテル』は、これら4人の子供とその父親との運命を章立てにしながら描いてゆく。「猟奇殺人」が中心となる物語だが、これはホラーでもミステリでもない。理に適わないことが次々と描かれるが、それも超自然的なものではない。物語は「4人の子供たちの運命」のみならず、それが明かされるシチュエーションですら、奇怪で不可思議極まりないものなのだ。それはただ、「不気味な物語」としか言いようのない、不条理な生と不条理な死の物語を描いたものなのだ。
作者であるエリック・マコーマックの名は、以前読んだ傑作長編小説『雲』で知った。これもまた、不気味で不可思議な物語だった。連作長編『パラダイス・モーテル』は『雲』以前に書かれた作品だが、幾つかの部分で共通する構成となっている。それは殆どが「伝聞」という形をとっていることだ。すなわち、主人公の目の前で起こったことではなく、「信用できない語り手」によって語られた物語であるということだ。だからこそ真偽の程が定かではなく、読み手は常に現実と虚構の間に宙ぶらりんとなり、不安を掻き立てられながら物語を読み進めることになるのだ。
しかし改めて考えるなら、物語とはそもそもが虚構である。その虚構をあたかも現実の如きものとして捉えて楽しむのが「物語」である。そして「物語」には理由があり意味があり結末がある。しかしマコーマックの小説は「虚構=物語」を成り立たせる構造に理由も意味も持ち込まない。それはただただ理に適わず、不安定で、黄昏れ時のように仄暗い曖昧さに捨て置かれる。「なぜ?」と問うても答えはない。その、虚無の中に吸い込まれてゆくかのような不安感が、マコーマックの物語であり、この『パラダイス・モーテル』なのだ。