不可思議な霊性と霊感についての物語/『ホフマン短編集』

ホフマン短編集 / E・T・A・ホフマン(作)、池内紀(訳)

ホフマン短篇集 (岩波文庫)

平穏な日常の秩序をふみはずして、我知らず夢想の世界へふみこんでゆく主人公たち。幻想作家ホフマンは、現実と非現実をめまぐるしく交錯させながら、人間精神の暗部を映しだす不気味な鏡を読者につきつける。名篇「砂男」はじめ六篇を収録。

最近怪奇幻想不条理小説をよく読んでいるオレであるが、今回読んだのはE・T・A・ホフマンによる『ホフマン短編集』。ホフマン(1776-1822)はドイツの作家、作曲家、音楽評論家、画家、法律家で、多彩な分野で才能を発揮し、文学、音楽、絵画で名声を得たという。 「ホフマン短篇集」は彼の代表的な短編集の一つで「クレスペル顧問官」「G町のジェズイット教会」「ファールンの鉱山」「砂男」「廃屋」「隅の窓」の6つの短編が収録されている。

 「ホフマン短篇集」は幻想小説集ということができるだろう。ここではあからさまな怪異や呪い、悪鬼や亡霊が登場するわけではない。多くは不可思議な運命を描くものであり、その幻想性にしても狂気に限りなく近い、得体の知れない霊性や霊感に翻弄される者の異常心理を描いているのだ。

「クレスペル顧問官」では美貌の貴婦人と住むクレスペル顧問官なる奇矯な男の姿を描くが、一見面妖なこの男が辿った奇妙な運命の綾を知るときその不可思議さに驚かされるだろう。「G町のジェズイット教会」では小さな町の教会画家が登場するが、類稀な才能を持ちながら人を避けあまりに偏屈なその性格には、忌まわしい過去が関わっていた。彼もまたその過去に異様な霊感を得ることにより道を踏み外し、やはり奇妙な運命に翻弄された男なのだ。

「ファールンの鉱山」では謎めいた霊的な存在に導かれ鉱山に職を得た男が、幸福の絶頂にありながら怪しげな霊感に打たれ正気を失い破滅へとひた走る姿を描く。この「霊的な存在」にしても「怪しげな霊感」にしても一種の幻惑であり強迫観念の賜物であるともいえるが、なぜ主人公がそのような運命に堕とされるのか説明しようがない部分に不気味さがある。「廃屋」は古ぼけた家の窓に謎の令嬢の幻影を見てしまった男の癲狂の物語だが、これもまた同様に幻惑と強迫観念に魂を弄ばれたものの悲劇を描くものなのだ。

『ホフマン短編集』のハイライトであり、ホフマン作品でも最も有名な一作である「砂男」は幼い頃に聞いた「砂男」の物語に終生呪われ破滅する男の物語である。砂男=ザントマンとはドイツなどヨーロッパ諸国の民間伝承に登場する睡魔のことで、眠らない子供の元にやってきて眠気を誘う砂を目にかけるのだという。「砂男」の幻影に囚われ精神を病んだ主人公はその後緩解するが、次に絶世の美女と出会うことでまたしても精神衰弱に至るのだ。この「砂男」と「絶世の美女」がどう関わってくるのか、という点で驚くべき結末を見ることになる。

この「砂男」は精神分析学者ジークムント・フロイトの論文「不気味なるもの」でも取り上げられ、またレオ・ドリーブのバレエ『コッペリア』、ジャック・オッフェンバックのオペラ『ホフマン物語』はこの小説をもとに作られているのだという。これらは「砂男」の物語が、その本質となるものが、どこかヨーロッパ的な精神の仄暗い部分に触れるものであるからなのかもしれない。