さよなら、コロン。

今日はちょっと感傷的な話を、おまけに長文で書くのでご勘弁願いたい。

オレは相方さんの影響で結構動物が好きなのだが、それは動物を飼うのではなく動物園に行ったりTwtterの動物写真を眺めるのが好きだったりするのだ。これまでもこのブログで紹介したが、特に好きな動物はカピバラマヌルネコとタヌキだ。なんかこうずんぐりむっくりした動物が好きなのだが、それはオレ自身がずんぐりむっくり体型である事とは断じて関係ない。

Twtterでは多くの動物好きの方たちをフォローしていて、その方たちの撮った動物写真がTLに流れてくるのを毎日楽しく眺めている。そんな訳なのでオレのTLは動物写真だらけで、実に平和なものである。そんなフォローしている方の中に、マイラの鉄干し。さんという方がいた。タヌキの写真を頻繁に流している方なのだが、他のタヌキ愛好家の方の写真とマイラさんの写真はちょっと違っていた。他の方たちが動物園タヌキや自宅飼育タヌキを撮っているところを、マイラさんのタヌキは野や山に佇んだものなのだ。

マイラさんは四国のどこか山奥の辺りで生活している方らしいのだが、マイラさんの撮るタヌキ写真というのは、この山の中やマイラさん自宅の近所に現れるタヌキの姿を撮ったものなのだ。最初は野生のタヌキが頻繁にマイラさん宅に訪れるのかと思っていたのだが、TLを追っていくとどうやら放し飼い状態のタヌキなのらしい。別に家で飼育しなくとも、マイラさん宅の周りの広い野や山が庭みたいなものなので、誰にも迷惑はかけないし、ここでタヌキを自由に生活させているのだろう。

マイラさんはそのタヌキのことを”彼女”と呼んでいた。性別が雌であるということなのだろうが、ぶっきらぼうに思えて、マイラさんなりの親しみを込めた呼び方に思えた。マイラさんの撮る”彼女”の写真はどれもとても楽しいものだった。庭で魚を焼いているのを目ざとく見つけた”彼女”が魚を奪おうとうろつき回り、遂には奪取成功する写真。マイラさんの車に乗ろうとしてやっぱり外に出されてしまう写真。まだまだ沢山あるのだけれど、これらは連続写真の形で載せられ、そのシチュエーションが手に取るように伝わってきた。そしてしみじみ、愛されてるなあ、と思わされた。

同時にちょっと変わった写真もあった。家の外堀のはるか下で眠りこける”彼女”の小さく写った写真や、山の茂みの中に紛れている、これまた”彼女”の小さく写った写真や、夜の闇の中で目を光らせている”彼女”の写真など、「え、どこにいるの?」と思わせる写真。これなどは、広大な山の中にあるからこそ可能な写真なのだろう。最高だったのは、”彼女”が山の中で猪猟の罠にかかってしまい、マイラさんがそれを笑いながら外していた動画だ。痛がる”彼女”には大変気の毒だったが、しゅんとした”彼女”の姿はとても可愛らしかった。

そして数々の、あまりに美しい写真。それは山や森や川辺に、”彼女”が佇んでいる写真だ。大自然に囲まれて、何かを見つめているような、考え込んでいるような”彼女”の姿は、ある意味神々しく、野生にいるからこそ野生動物は美しく映えるのだなと思わされた。そしてそれらの写真の多くは、”彼女”が見えるか見えないかぐらいの遠景で撮られていた。

大抵の動物写真は接写が殆どだけれど、マイラさんの写真は、こんな具合に遠景の写真が多かった。それらはマイラさんがいるのであろう自然の光景の、そのずっと向こうに、ずっとちいちゃく、”彼女”が佇んでいる写真だった。最初は不思議だったけれど、ある日分かったのだ。その遠景の写真は、それはただ単に愛する”彼女”の写真なだけではなく、自分と”彼女”とがいる、この世界の全てを撮っていたのだ。それは”彼女”を愛するだけではなく、自分と”彼女”とがいる、この世界の全てを愛していて、その全てが美しいのだ、という写真だったのだ。

その”彼女”の突然の死がツイートされたのは、5月20日の事だった。そして、"彼女"の本当の名前が、コロンだという事を知った。

ちょっと、自分でも信じられないぐらいショックだった。オレは動物をまともに飼ったことが無いので、その飼っている動物が亡くなった時に、どう感じるのかよく分からなかった。でもそれは、自分の家族が亡くなった時と同じ、胸を抉られるような哀しみであろうことは想像できた。ただ、ネット上の、実際に出会う事などないであろう方の飼っていた、実際に出会う事の無かった動物の死が、ここまで自分にショックを与えたという事に、逆に驚いてしまった。今でもコロンの写真を見ると悲しい気持ちになるし、一時は他のタヌキの写真すら見られなかった。

その後のツイートから、マイラさんが育児放棄されたタヌキの子を拾い、その子を2年間育てていたらしいことも知った。つまりコロンはまだ2歳で、そしていくら動物とはいえ、2歳はまだまだ若すぎる年齢だった。なにがあったのかは詳しく書かれていなかったけれども、少なくともマイラさんは、コロンの最期を見届けられたらしいことは書かれていて、そこだけがせめてもの救いだったんじゃないだろうか。

コロンの何が、他の多くのタヌキや動物たちと違っていたのだろう。他の多くのタヌキや動物たちは、コロンと何一つ変わらない掛け替えのない命で、それを愛する飼い主たちの愛情も、そこに多寡などあるはずはない。ただ一つ違いがあったとすれば、自然の中を駆けるコロンという美しいシチュエーションと、そんなコロンとのひと時を過ごすマイラさんの楽し気なツイートに、とても豊かな、そして特別なドラマを見てしまったからではないだろうか。それはコロンの愛らしさのみならず、マイラさんの表現力の非凡さがあったからこそなのだと思うのだ。

マイラさんの「悲しいお知らせ」にあった、「おとぎ話」という言葉が暫く頭を離れなかった。おとぎ話のような日々。それがおとぎ話だったのだろうと言い切らねばならなかった悲しい現実。そんな言葉のチョイスに胸が痛んだ。それは夢みたいな日々、夢みたいな毎日という事だったのだろう。その夢が終わってしまうのはなんと悲しいことだろう。でも、コロンはもういないけれど、いつだって思い返すことはできる。そこにはまだきっと、「おとぎ話」の、その端っこぐらいは存在している。

この文章は、オレがTwitterで出会った、コロンというもうこの世界に存在しないタヌキを、きちんと記憶に留めておくために書くことにしたのだ。なんかこう、コンテンツみたいに消費してしまいたくなかったのだ。Twitterで眺めていただけだけれども、自分もまた、コロンの事を愛していたし、コロンがいてくれて楽しかったという事を、ここに書いて残しておきたかったのだ。これを書かないで何を書くというのだ。ブログって、まさにそのためにあるんじゃないか。とはいえ、自分には重くて、なかなか書き出せなかったのだけれども。

日々は過ぎてゆくし、物事の記憶も段々と薄れてゆくのかもしれないけれど、君のことはいつでも思い出して、可笑しくて楽しかった事を、その素敵な気持ちを、胸の中に甦らす事ができる。今はちょっと気持ちも落ち着いて、他のことにかまけていたりするけど、心の片隅にはいつも君がいる。だから、また君のことを思い浮かべる時までは。さよなら、コロン。

写真は「写真AC てつぼしさんの写真」から