望月ミネタロウの『没有漫画 没有人生(ノーコミック・ノーライフ)』を読んだ

没有漫画 没有人生(ノーコミック・ノーライフ)(1) / 望月ミネタロウ

没有漫画 没有人生 (1) (ビッグコミックス)

 

望月ミネタロウはとても好きな漫画家で、作品は殆ど読んでいるのだが、時々どこが面白いのかまるで分らない作品を描く漫画家でもある。『バタアシ金魚』『お茶の間』『座敷女』『ドラゴンヘッド』は文句なく傑作だと思うし、『東京怪童』『ちいさこべえ』は新境地を開いた味わい深い作品だと思うのだけれど、『バイクメ~ン』や『万祝』あたりとなると作品のツボが全く分からず、「これのどこを面白がらなければならないのだろうか?」と戦々恐々としながらとりあえず最後まで読んだ記憶がある。

もう一つ、望月ミネタロウは「オシャレな漫画を描く漫画家」だと思うのだが、時々その「オシャレさん振り」が鼻につく漫画家でもある。そしてこの「オシャレさ」というのも微妙で、まず望月ミネタロウは「オシャレさん」だが全く気取っていない。なんというか空気を吸うようにオシャレなのである。それは登場人物の洋服やら登場するアイテムやらが実に「趣味がいい」のと同時に「十分にポップ」である部分に顕れるが、しかし登場人物のライフスタイルは限りなくベタで庶民的なのだ。つまり「オシャレ」ではあるが「意識高い」訳では決してないのだ。

望月ミネタロウの「没有漫画 没有人生(ノーコミック・ノーライフ)」はエッセイ漫画となる。ここでは漫画家・望月の、「僕はこんな事を思いながら漫画を描いて、こんな事を思いながら毎日生きているんだあ」といったリアルが描かれるのだが、まず基本①としても望月とその家庭のとてもオシャレな生活が描かれつつ、ただし基本②として、そんな望月自身はなんだかムツカシイ事を言う訳でも考える訳でもなく、とてもピュアで素直に自らの生活や仕事に対峙しているのだ。

望月の真に凄い所は実はこの部分で、ある種のオシャレ界隈なるものがどうにも薄っぺらくどこかで聞いたことがある様なもっともらしい戯言で自らのライフスタイルを肯定しようとする部分を、望月はそういった借り物のイデオロギーに至る事が一切無いまま、ただ一介のナチュラルボーン・オシャレさんとして生きているのだ。これは漫画家・望月という表現者の思考の柔軟さ、人間の軽やかさ、「もっともらしい戯言」に決して陥らない感受性の確かさにあるのだと思う。

ただ、望月の持ち合わせるこういった「明快でピュアな素直さ」は、物語を表現される時に必要であろう「人間の昏さ、薄汚さ」をどうしても無視してしまうものであり、そこが望月漫画の持ち味であると同時に限界でもあるなあ、とどうしても思えてしまうのだ。いや、とても好きなんだけどね、望月さんの漫画。