著名グラフィック・ノベル作家のイケテナイ日々/『長距離漫画家の孤独』

長距離漫画家の孤独 / エイドリアン・トミネ(作)、長澤あかね(訳)

長距離漫画家の孤独

洗練されたグラフィック・ノヴェルと「ニューヨーカー」誌のカバーで知られ、代表作『サマーブロンド』『キリング・アンド・ダイング』が映画化(ジャック・オディアール監督『パリ13区』4月22日日本公開)されるなど、いまアメリカで最も活躍している漫画作家エイドリアン・トミネ。彼がいかにして数多の屈辱・災難を乗り越えてグラフィック・ノヴェリストとして名声を築いたかを、ユーモア溢れるほろ苦いタッチで描く傑作回想録が登場!

この『長距離漫画家の孤独』は『サマーブロンド』『キリング・アンド・ダイング』で知られるグラフィック・ノベル作家、エイドリアン・トミネの作品である。……とはいえ、「知られる」と書いてしまったが、実はオレは余り知っていない。作品タイトルや作家名は何度か目にしたことがあり、「買って読んでみようかなあ?」と思ったことはあるのだが、結局買ってないし読んでいない。

イメージとしては映画化もされたダニエル・クロウズの『ゴースト・ワールド』やブライアン・リー・オマリーの『スコット・ピルグリム』みたいなオルタナティヴ・コミックなのかなあ?と思いつつ、『ゴースト・ワールド』は読んでないし『スコット・ピルグリム』は読んだがピンと来なかった。両方とも映画化作品は面白かったけど。いやなんだかオルタナティヴ・コミックって取っつき難くてさあ。バットマンが出てくるアメコミは読むんだけどね。

そんな「あんまりよく知らない」エイドリアン・トミネの作品を、何故買って読んでみようと思ったのか、しかもなんと定価4620円もしやがるヤツを、というと、なんというかこういったコミックを読むのも教養の一つだと思ったからである。教養と言うと聞こえがいいが、単に雑食性の人間なのでちょっとでも気になるとなんでも興味本位に手にしてしまうのである。こういう人間は散財ばかりして貯金が溜まらない。老後の事を考えると(というかもう老後なんだが)暗澹たる気持ちになる。

とまあ、作品内容とまるで関係ないどうでもいいことをブツクサと呟いてしまったが、実際作品のほうはどうだったかというと、これがすこぶる面白かった。楽しくてキュートで時々クスリと笑わせてくれて、最後はちょっぴりセンチな気分にさせてくれる良作だった。これは買って読んでみて本当に良かった。まあ定価4620円もしやがったのだが。

(定価が4620円もするのは多分特殊な装丁のせいもあるのだろう。この作品、ゴムバンド付きのノートブックの体裁に製本されたハードカヴァー作品なのだ。本文もご丁寧にノートブックみたいな青い格子罫線が引かれていて、その上にコミックが印刷されている、という凝った作りだ。とはいえこの洒落たデザイン自体がこの作品への愛着を高めていることは間違いない)

でやっと内容に触れることにする。この『長距離漫画家の孤独』はその道では巨匠とさえ呼ばれているグラフィック・ノベル作家エイドリアン・トミネの、ちょっと可笑しな自叙伝となっている。コミック作家を志した子供時代をプロローグに、著名な作家となった1995年から、結婚して子供ももうけた2018年までのその時々を、1話約4ページほどの年代記としてまとめているのだ。

そしてそこで描かれるのは、「いや、僕、割と有名なはずなんだけど、あんまり認知されてない上に、別の作家と間違われるし、名前すらまともに発音されない……」という、巨匠にあるまじき小市民的ないじましさと、プライドを傷つけられながら結局なにも言えずにしょんぼりしまくっている小心ぶりなのである。その自己顕示欲とは裏腹にシャイな性格で、作家ならではの強い妄想癖によりいつも心配性で、気持ちばかり急くけれどもたいてい失敗し自己嫌悪に至るという、実のところ誰にでもありそうな日常の出来事を赤裸々に描いているのだ。

とはいえその「日常の出来事」の切り取り方が、やはり絶妙に「巧い」のである。それをエピソード毎にテンポよくきっちり4ページ余りに落とし込む部分に、「巨匠」たる才覚を感じるのである。どのエピソードにもたっぷりと面白みが籠っているいて、主人公を含む登場人物たちには共感と愛着がわいてくる。グラフィックは簡素で平易だが親しみやすく、それは読み進むにつれどんどんと好きになってくる。いや一見地味っぽいがこれは相当に練られた作品だぞ。オレは好きだな。気に入ったよ。

ちなみに海外漫画賞の最高峰、アイズナー賞の2部門受賞(最優秀自伝賞・最優秀装幀賞)した作品でもあるらしい。確かにちょっと高価なんだが、ピリッと小粋な面白さを持ったグラフィック・ノベルを体験したい方には是非お勧めしたいな。