フランス文学探訪:その12/ ルソー『孤独な散歩者の夢想』

孤独な散歩者の夢想 / ルソー(著)、永田 千奈(訳)

晩年、孤独を強いられたルソーが、日々の散歩のなかで浮かび上がる想念や印象をもとに、自らの生涯を省みながら自己との対話を綴った10の“哲学エッセイ”。ここにはあの“偉人ルソー”はいない。迫害妄想に悩まされたのち訪れた平穏のなかで書かれた、ルソー最後の省察。「思索」ではなく、「夢想」に身をゆだねたその真意は? 他作品との繋がりにも言及した中山元氏による詳細な解説が付く。

ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)は『人間不平等起源論』『社会契約論』で知られるフランスの思想家・哲学者である。『エミール』や『新エロイーズ』、『告白』では教育学者や作家としての一面ものぞかせるマルチな知識人だ。

とはいえ今回読んだ『孤独な散歩者の夢想』は決して思想や哲学を詳らかにした書物ではない。そもそもオレには思想も哲学も敷居が高過ぎて無理だ。ではいったいどんな内容かというと、ある理由によりフランス社会から迫害を受け八方塞がりとなったルソーの、その窮状とどう折り合いをつけ自らの魂に救いを見出してゆくかを考察してゆく書であり、心情告白であり決意の書でもあるのだ。

「ある理由」というのはルソーが1762年に刊行した教育書『エミール』が、当時のカトリック社会の教義と相反するものとして糾弾され危険思想のレッテルを張られたことによる。ルソーはそのことをこう書いている。「この世の秩序から引き離され、訳の分からない理解不能の世界に真っ逆さまに落ちていったとしか思えない」。彼は時代の寵児としての思想家から全き不条理と混乱の淵に叩き落され「裸の個」となってしまうのだ。

ルソーは逮捕の間際にスイスへと逃走し、その後も命の危険を感じながら各地を転々とし続ける。ようやくフランスに戻り落ち着くことのできたルソーがその晩年に、逃亡生活における孤独な日々をどう過ごしたのかを書き記したのがこの『孤独な散歩者の夢想』となるのだ。

長々と来歴を書いたのはこの書が、思想哲学を書き記したものではなく、虐げられた一個人の魂の叫びとも言える内容となっているからだ。このような立場に追いやられた自分を見つめ直し、その中から少しでも肯定的な理由を導き出し、心痛に溢れ孤独に満ちた日々にどう喜びと心の平安を見出すかを考察した書となっているのだ。

それは単純には、自然の中を歩きその自然を愛で、そこから癒しと安らぎを導き出そうとする行為である。まあリラクゼーションの方法として至極普通のようにも思えるが、その自然の中で様々な「夢想」を繰り返すことにより、これまで彼が培ってきた思想哲学とはまた違う、普遍的で誰もが受け入れられやすい心情を描き出すことになったのがこの書なのだ。

だからこそ、この『孤独な散歩者の夢想』は、読む者の「心に刺さる」のだ。ルソーは当時の宗教的支配下にある社会から迫害を受けたことでこの書を書いたが、しかし心の平安と慰撫を見出すことを第一義として書かれたその内容は、今この現代においても十分に通用するものだ。大なり小なりの社会のコミュニティーにおいて、孤立し虐げられ不条理な無理解の只中に置かれたことのある者ならば、このルソーの書は傷薬のように心に沁みるものがあるのではないだろうか。

社会から迫害を受け困窮の中で死んだルソーであったが、その思想はのちのフランス革命を導くこととなり、革命後栄誉の殿堂パンテオンに合祀されたのだという。