マルク・デュガンの近未来SF『透明性』を読んだ。

透明性/マルク・デュガン (著)、中島 さおり (翻訳)

透明性

自国第一主義による地球温暖化は終局を迎え、人類の生存域が北欧地域に限られた2060年代。グーグルによる個人データの完全な可視化は、人間から共感という能力を失わせていた。そんななか、アイスランドで暮らすトランスパランス(透明性)社の元社長が、個人データを人工的な体に移植し、不老不死を可能とする“エンドレス・プログラム”の準備を進めていた。それは、“考えること”を放棄した人類への最後の抵抗にして、ささやかな願いだった―仏のドゥ・マゴ賞受賞作家が放つ、この現在の先にある、不可避な未来への警告。

フランスの作家・ジャーナリストであるマルク・デュガンの近未来SF小説『透明性』を読んだ。読んだのだがこれが「SFなのか?寓話なのか?それとも小説にカモフラージュした社会批判なのか?」 といった内容で、実に興味深かった。

2068年。自由意志を巧みに操作するグーグルは、新人類を生み出す計画に乗り出し、トランプを発端とする自国第一主義は、気候変動を加速させ、人類の生存域は北へ北へと限られていった。環境破壊による地球と人類の危機を回避するため、元グーグル社員である主人公カッサンドラは自ら新人類プログラムを発動。それは人工の義体に精神を移植し不老不死を可能にする計画だった。それを知った世界は大混乱に至る。不老不死の身体を得るには「選別」をされねばならなかったからだ。

意識のデータ化と人工ボディへの移植といったテーマはSF作品として別段目新しいものではない。そういった技術が可能になったまさにその時に社会がどのような衝撃を受けるのか、といった部分は多少面白いかもしれない。しかしこの物語の特殊な点は、まず「機械の身体による永遠の命を得るための資格」がどのように「選別」されるのかという点だ。それは富裕層や権力者ではなく、聖職者でもなく、いかにネットワークに個人データを残し、さらに地球環境を回復させる理念を持った者であるか、ということになっているのだ。この物語、結構「思想的」なのである。

さらに物語それ自体とは別に、グーグルを代表とするグローバルIT企業や実体のない金融市場、情報操作、経済格差、環境破壊など人類の成した愚かな所業についての告発が執拗に語られるのだ。これはなんなんだ?とは思いつつ、オレは最近読んだ『ニュー・ダーク・エイジ テクノロジーと未来についての10の考察』をつい連想してしまった。『透明性』と『ニュー・ダーク・エイジ』の論旨には奇妙に共通点があり、それは環境破壊から始まり、ブラックボックス化するテクノロジーへの警鐘、アルゴリズムビッグデータがあらゆる問題を解決するかに見える社会、考えることを放棄しポスト真実に逃避する人々など、枚挙に暇がない。これらの事項への批評がある種のトレンドなのか?と思ってしまうほどだ。

そういった、フィクションと現実社会への警鐘が混ぜこぜになって語られクライマックスへと向かう訳なのだが、最後まで読み通すといかにもフランス人作家らしいねじくれた「メタフィクション」へと結実しており(物語性は全然違うがフランス人作家ピエール・ブールによるSF小説猿の惑星』の構成を思い出してしまった)、いやーホントフランス人ってひねくれてるわーと呆れ返るのと同時に、こういった形のSFはアメリカ人作家には良くも悪くも絶対書けない、書かないだろう、といった部分で面白く読めた作品だった。

透明性

透明性

 
ニュー・ダーク・エイジ テクノロジーと未来についての10の考察

ニュー・ダーク・エイジ テクノロジーと未来についての10の考察