マーダーボット・ダイアリー/マーサ・ウェルズ (著), 中原 尚哉 (翻訳)
かつて重大事件を起こし、その記憶を消されている人型警備ユニットの“弊機”は、ひそかに自らをハックして自由になったが、連続ドラマの視聴を趣味としつつ、保険会社の所有物として業務を続けている。ある惑星資源調査隊の警備を任された弊機は、さまざまな危険から顧客を守ろうとするが。ヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞3冠&2年連続ヒューゴー賞・ローカス賞受賞作。
なんかこう「コミックみたいに軽快に読み飛ばせるSF」が読みたかったのである。人類の運命とかテクノロジーと人間との相克とか物理学とか量子力学がああしてこうなっちゃってイヤ凄いだろ!?という重厚なSFではなく、読んでスカッとできる娯楽作を読みたかったのだ。そう思いあれこれ探して見つけたのが2019年に創元から出版されていた『マーダーボット・ダイアリー』であった。
物語の舞台はワームホールによる恒星間旅行が可能になった未来。主人公は宇宙探査時に人間を守る使命を持った警護アンドロイド。”弊機”と自らを呼ぶそのアンドロイドは設定エラーにより過去に大量に人を殺してしまったのだが一度リセットされ、その際、秘密裏に自己ハッキングして「自由行動」を可能としていた。そんな”弊機”が人間たちと行動を共にしながら様々な事件に巻き込まれてゆく、というのがこの作品だ。物語は連作中編の形で4話、翻訳版では上下巻に分かれて刊行されている。
この作品の面白さはなんと言っても主人公”弊機”のどうにもひねくれた”ツンデレ”ぶりであり、そこから醸し出されるクスッと笑ってしまうようなユーモア感覚である。過去の事件により脛に傷持つ身となった”弊機”(なお性別は無く、翻訳版表紙絵の女性っぽい絵は無視したほうがいい。あととりあえず名前は無い)は人間となるべく接触したくない「引きこもりキャラ」なのだが、にもかかわらず時々人恋しくなってはそれを否定する、というメンドクサイ奴なのだ。そのメンドクササが物語に可笑しみを与えているのだ。
で、その「ボッチ大好きアンドロイド」は一人の時に何をしているかというと、なんとこれが「連続ドラマの視聴」なのである。未来のネトフリやらアマプラみたいなところからドラマを大量ダウンロードして、仕事の合間であろうとも暇さえ見つけたら思考回路内再生しては楽しんでいるのだ。なんなんだこのキャラ!?しかしこの「連続ドラマ」から人間の感情の機微や行動原則を学び、自らを「人間的」に律したりしているのだ。AIの自意識の目覚めの切っ掛けが連続ドラマ、というふざけてるんだか真面目なんだか分からない設定がまたもや面白いのだ。
とはいえ作品は決してユーモア一辺倒ではなく、惑星探査にまつわる様々な陰謀や危機、そこから生まれる熾烈な戦闘と脱出劇が描かれ、アクションSFとしても十分な醍醐味を得られるのだ。もとより戦闘に特化した警護ユニットであり、高い俊敏性と反応速度の速さから人間には不可能な凄まじい戦闘を行えるばかりか、高度なハッキング技術を持ち合わせており、周囲のAI環境を瞬時に味方につける戦略に長けている。このフィジカルとサイバー両面における戦闘描写がなかなかにイケるのだ。
こんな具合にユーモアとシリアスが程よく絡み合い、引きこもりアンドロイドのツンデレ宇宙旅行の行方が気になって仕方がない『マーダーボット・ダイアリー』、SF好きには是非お勧めしたい作品だ。なお続編の刊行も決定しており、こちらも楽しみだ。