黒人女性作家オクテイヴィア・E・バトラーによる恐るべき切れ味のSF短編集『血を分けた子ども』

血を分けた子ども / オクテイヴィア・E・バトラー (著)、藤井光 (訳)

血を分けた子ども

ヒューゴー賞ネビュラ賞ローカス賞の三冠に輝いた究極の「男性妊娠小説」である「血を分けた子ども」。 言語を失い、文明が荒廃し人々が憎しみ合う世界の愛を描き、ヒューゴー賞を受賞した「話す音」。 ある日突然神が現れ、人類を救うという務めを任された女性をめぐる、著者の集大成的短篇「マーサ記」。7つの小説と2つのエッセイを収録する、著者唯一の作品集が待望の邦訳。

SF短編集『血を分けた子ども』の作者オクテイヴィア・E・バトラー(1947-2006)は「SF作家としては珍しいアフリカ系アメリカ人かつ女性であり、その民族的、性別的視点はユニークなものであると評されている。1995年、SF作家として初めてマッカーサー基金から「天才賞」マッカーサー・フェローを授与された*1」作家である。

長年SF小説を読んできたつもりのオレだったが、実はこのオクテイヴィア・E・バトラーの名前はまるで知らなかった。そして今回初めてこの短編集に触れ、その恐るべきストーリーテリングの妙に驚かされてしまった。作者は既に鬼籍に入っているのだが、もっと早く知ってその作品を読むべきだったと後悔してしまったぐらいだ。

『血を分けた子ども』でバトラーの紡ぐのは「血と運命の物語」であり、「ディスコミュニケーションの物語」である。そして、貧困家庭に育ち引っ込み思案の青春時代を過ごしてきた作者の、「SF作家である事への強烈なる矜持の物語」である。作品の幾つかはジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの冷徹な筆致を思わせ、黒人男性SF作家サミュエル・R ・ディレイニーに勝るとも劣らない芳醇な才能に溢れた作品が並ぶ。

作品を紹介していこう。表題作「血を分けた子ども」は異星に移住した人類の開拓民がその惑星の知的生物に支配され、その生物の幼体を体に植え付けられる、というある種おぞましい物語だ。しかし人類の開拓民はその残酷な運命を受け入れ、むしろその生物との共存を目指すのだ。SFの体を成す作品だが、しかし物語に暗喩されるのは白人により奴隷化され、のちに白人世界との共存を選び取った黒人たちの歴史を描く物語ととれはしないか。この作品でバトラーはヒューゴー賞ネビュラ賞ローカス賞の三冠を受賞した。

「夕方と、朝と、夜と」は架空の疾病に罹患した若者たちの物語だ。その疾病は青年期までの潜伏後、正気を失い自傷行為を繰り返し遂に死に至るのだという。疾病は遺伝性であり、主人公らも親からこの疾病を受け継いだ。ここでも描かれるのは逃れようのない血と運命の物語だ。治療法の無いその疾病に主人公らは苦悩し親を憎悪するが、同時にその運命を昇華する術を模索する。逃れようのない血と運命の下にありながら、それでも生きようとする意志、ここにも黒人社会の苦闘の歴史が見え隠れしないか。

「話す音」では世界を襲ったパンデミックにより会話機能を失ってしまった人類を描く。崩壊し無法と化した世界の中、主人公はそれでも生きる術を求めて放浪する。ここで描かれるのは「会話を失う」ことにより意思疎通の術を無くした絶望的な状況である。しかしそれは今現在の社会における人々のディスコミュニケーションの写し絵ではないのか。バトラーはここでも凄まじい切れ味のアレゴリーを見せつける。

「恩赦」は異星生物による侵略を受け支配された地球を描く作品だ。主人公は異星生物と人類との通訳をスカウトする人間女性だが、かつて彼女は異星生物に拉致されたことにより政府組織から加虐的な尋問を受けたという過去を持つ。作品は侵略そのものよりもその抗えない運命の中でどう生きるのかを描き、同時に本来同胞である人類から壮絶な拒否を受けた主人公、というディスコミュニケーションがテーマとなる。そしてむしろ異星生物のほうが主人公に好意的なのだ。異星人による地球侵略を描いたSF作品は数あるが、この作品の切り口の斬新さは群を抜いていると言えるだろう。

ラスト「マーサ記」がまた素晴らしい。ここで登場するのは作者その人を思わせる黒人女性作家マーサだ。ある日彼女は天に召されるが、そこで出会った【神】に「人類を良い方向に導くたった一つの素晴らしい方法を決定する」ことを命令されてしまうのだ。マーサはあれこれ考えるもどれも帯に短し襷に長し、決定的な方法を思いつくことができない。そんな中マーサが思いついたある事とは?これがもう、皮肉やネタとかでは全然ない、本当に「素晴らしい方法」であり、そしてそれを作品の中で堂々と描き切ってしまうのである。同時にそれは、《作家》である作者バトラーの、その《作家》としての矜持と想いがあらん限りに詰め込まれた「方法」なのだ。バトラーは貧困生活と引っ込み思案の青春の中でただただ「SF作家になる」ことだけを願い努力し、それを見事勝ち得た「生涯一SF作家」である。そんな彼女の人生そのものがこの物語には凝縮されていると思えてならない。いやあ、これには感服させられてしまった。