ミシェル・ウエルベックの『闘争領域の拡大』を読んだ

闘争領域の拡大/ミシェル・ウエルベック 

闘争領域の拡大 (河出文庫)

闘争領域。それはこの世界、自由という名のもとに繰り広げられる資本主義世界。勝者にとっては快楽と喜びが生まれる天国、敗者にとってはすべて苦しみ、容赦ない攻撃が続くシビアな世界。日々、勝者か敗者かの人生が揺れている微妙な三十男の「僕」と、生まれついての容姿のせいで女に見放されている、完全な敗者のティスラン。彼らにとって人生は苦々しく、欲望はときに拷問となる。そんなふたりが出会ったとき、奇妙で哀しい、愛と人生の物語が生まれる―。現代フランス文壇で類を見ない才能を放つウエルベックの、若き哲学が爆発した初期の傑作小説。

ミシェル・ウエルベックの長編小説第1作である(実質的な作家デビューは前作の長編エッセー『H・P・ラブクラフト 世界と人生に抗って』)。そして長編第1作だけあってウエルベックのエキスがたっぷり凝縮された1冊となっている。

物語のテーマは「闘争領域」。そしてその「闘争」とは「性的対象を奪取するための戦い」である。経済的繁栄は富を元にしたあらゆる自由を可能にしたが、同時にそれは旧弊な倫理と宗教観を破壊し、これまで檻の中に閉じ込められてきた「性的自由」をも解放した。だがその「自由」は経済と同様「持つ者と持たざる者」の「冷酷な差異化システム」をも生み出してしまった。平たく簡単に言うと「モテと非モテの相克」である。

欲望の果てしなき拡大は許されながらも欲望の対象を奪取するためには熾烈な闘争を展開せねばならない。その戦いにおいて「引っ込み思案のブ男」のハンデは致命的である。即ち「引っ込み思案のブ男」はあらゆる「性的自由」を目の前のぶら下げられながら、彼自身における「性的自由」は「不可能」と宣告されるのだ。

よくある話じゃんか、と思われるかもしれない、しかしこれは「では自由とはなんなのか、何のための自由なのか」という激しい糾弾の書であり、「性の絶対的貧困を生み出さざるを得ない社会で生きること」への陰鬱極まりない呪いであり、その絶望と孤独とを謳った悲壮なる逸話なのである。このモチーフはそのまま次作である『素粒子』へと受け継がれ、さらに残酷で無情な物語が展開されるのだ。