倦み疲れた生の果ての不安と悲哀/ホラー短編集『ボーダー 二つの世界』

■ボーダー 二つの世界/ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト

ボーダー 二つの世界 (ハヤカワ文庫NV)

罪や不安を嗅ぎ取る能力を活かしスウェーデンの税関で働くティーナはある日、虫の孵化器を持った不思議な男と出会う。彼の秘密が明らかになるとき、ティーナが出会う新しい世界とは……映画原作である『ボーダー 二つの世界』の他、『MORSE―モールス―』番外篇の『古い夢は葬って』、集合住宅に這い寄る恐怖を描く『坂の上のアパートメント』、高齢女性の明るくも悲しい犯罪譚『マイケン』など、現実と異界の境界を問う11の物語。

昨年日本でも公開された映画『ボーダー 二つの世界』の原作短篇も含むホラー短編集である(とはいえ映画のほうは未見)。ちなみに作者であるヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストはこれも映画化された『ぼくのエリ 200歳の少女』、さらにそのリメイクである『モールス』の原作者でもある。このリンドクヴィスト、スウェーデン出身であり、「スウェーデンスティーヴン・キング」と呼ばれるほどに人気を博すホラー小説作家なのらしい。 そして今回この短編集を読んで、その評判に偽りが無かったことを思い知らされた。なにしろ、面白い。

一作ずつ拾っていこう。
『ボーダー 二つの世界』は特殊な能力を持つ税関職員の主人公が登場するが、描かれるのは社会からの疎外感であり、「自分が本当に還るべき場所」ということだ。
『坂の上のアパートメント』はあるアパートに起こる怪異を描くが、中心にあるのは倦怠感に満ちた生活でありそこから引き起こされる強迫神経症だということもできる。
『Equinox』はいたずらで不法侵入を繰り返す女が直面した異様な出来事を描く。この物語でも怠惰と倦怠に満ちた人生が発端となる。
『見えない! 存在しない!』はとあるパパラッチが出遭う恐怖の物語。本質にあるのはパパラッチというやさぐれた商売を続ける者の飢餓感と虚無。
『臨時教員』は非常に超現実的な物語で、ある種SF的とも言うことができる。
『エターナル/ラブ』は「永遠の生」にまつわる呪われた物語。ここにあるのは索漠とした生への不安と悲哀ということなのだろう。
『古い夢は葬って』は映画『ぼくのエリ 200歳の少女/モールス』原作のスピンアウト作品で、原作に登場した警察官が主要人物となる。ただしホラーというよりも生の儚さと、そしてやはり悲哀とを描いた作品だろう。
『音楽が止むまであなたを抱いて』は巻末の作者によるヒント無しだと相当難解だろう。
『マイケン』は女性万引き団を描くが超常的要素は無い。しかし根底にあるのは貧困であり、社会への不満と不安という事なのだ。
『紙の壁』は読者の想像によって解釈が異なってくる不思議な味わいの作品。
『最終処理』は中編と言っていい程のボリュームのあるゾンビ・ストーリーだが、作者独自解釈のゾンビであり、一般的なそれとは趣が異なる。さらに超現実的なツイストが掛かっており、非常にユニークな展開を迎える。これは是非映画化して欲しい。そしてこの物語でも社会から外れた者の倦怠的な生活が描かれることになる。

全体を見渡してみると、この作品集にはある傾向が存在する。それは高福祉国家として知られている筈のノルウェーに生きる人々の倦怠であり虚無である、ということだ。もうひとつは主人公に微妙にアンモラルな人物が多く登場し、ちょっとしたいたずらの感覚で犯罪的・または犯罪そのものを犯す、ということだ。これらにも社会への不安や生への倦怠が理由付けられて語られてゆく。

登場人物の多くは平凡極まりない生活であったりカツカツであったり、さらには貧困層であったりもする。何不自由なく暮らす主人公も登場するけれども、全体的にはやはり索漠とした生を生き、死の不安におびえて暮らしているのだ。高福祉国家という名目から想像する「恵まれた生活」とは決定的に乖離しているのである。ここがまず驚きだった。この「疲弊し倦み疲れた感覚」が、短編集『ボーダー 二つの世界』全体を覆うトーンのように感じた。

ホラーの、その恐怖の本質にあるのは「不安」と「不快」である、と作家の誰かが言っていたが、この短編集では圧倒的に「不安」の比率が高いという事ができる。さらに多くの作品で「生きる事の悲哀」が語られてゆく。この短編集はホラー・ジャンルの作品集ではあるが、生の本質にある不安と悲哀を物語の中心に据えることによって、より深く共感し、より深く恐怖することの出来る物語へと昇華されている。そこが作者リンドクヴィストを「スウェーデンスティーヴン・キング」と呼ばせる所以なのだろう。

作品内においてロック・ミュージックや映画などポップ・カルチャーへの言及が多いのも「キング的」といえるかもしれない。中でも英国のポストパンク/ロック・バンド、ザ・スミスの歌詞からの引用がそこここに見られ、かつてザ・スミスの曲に胸ときめかせていたオレなどは終始にんまりさせられていた。

ボーダー 二つの世界 (ハヤカワ文庫NV)

ボーダー 二つの世界 (ハヤカワ文庫NV)

 
MORSE〈上〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)

MORSE〈上〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)

 
MORSE〈下〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)

MORSE〈下〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)