■MORSE モールス(上)(下)/ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
母親と二人暮らしのオスカルは、学校では同級生からいじめられ、親しい友達もいない12歳の孤独な少年。ある日、隣にエリという名の美しい少女が引っ越してきて、二人は次第に友情を育んでいく。が、彼女には奇妙なところがあった。部屋に閉じこもって学校にも通わず、日が落ちるまではけっして外に出ようとしないのだ。エリが越してきてほどなく、体内の血を抜き取られた少年の死体が発見され、郊外の静かな町は騒然とする。その異常な手口から、警察は儀式殺人の線で捜査を開始。やがて一人の不審な男が容疑者として浮かびあがる。一方、オスカルはエリから彼女の出自にまつわる恐るべき秘密を打ち明けられていた…「これほど美しくも哀しいヴァンパイア・ホラーはかつてなかった」と絶賛を浴びた、恐るべき北欧エンターテインメント。
この間読んだヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストのホラー短編集『ボーダー 二つの世界』がとても面白かったので同作家による長編『MORSE モールス』を読んでみることにしたのだ。ちなみにこの『MORSE モールス』は映画『ぼくのエリ 200歳の少女』と『モールス』の原作として有名であり、ご存知の方も多いかと思う。オレもこの両方の映画は観ていてそれなりに楽しんだが、原作はそんな映画化作品を遥かに上回る面白さだった。今回は若干ネタバレあり。
スウェーデンの小さな町を舞台に、いじめられっ子の孤独な少年オスカルと、彼のアパートの隣に越してきた奇妙な少女エリとのささやかな交流が始まるが、同時に街では陰惨な殺人事件が巻き起こる。実は少女はヴァンパイアであり、その事件は彼女と彼女のしもべである男が起こしたものだった、というがこの物語だ。北欧の冬の冷涼とした情景、そこで起こされる血も凍るような惨劇、そして外の世界から疎外された少年と少女のうら寂しい交流と、どこまでも暗澹とした空気感を湛えながら物語は進んでゆく。
しかし、この物語を単なるヴァンパイア・ホラーとしていないのは、主人公となるオスカルとエリの絶望的なまでの孤独感と、お互いに孤独を抱えた者同士による、哀惜に満ちた情愛の行方にあるだろう。そう、この『MORSE モールス』の本当の魅力は、透徹した孤独を描いた部分にあったのだ。オスカルは母子家庭でありいじめられっ子であり、常に疎外感を持って生きていた。そしてエリは、200年に近い年月をヴァンパイアとして生きてきた少女だったが、人の心を持ちながらも殺戮を繰り返さねばならない悪鬼であり魔族であり、世界と隔絶しながらただただ獣の様に生きざるを得ない存在だった。
この物語で面白いのは、冷徹な殺戮者であり魔族でもあるエリの孤独に次第に共感を覚えてしまうという部分である。畢竟彼女は人間ではなく、人ならぬものの悲しみに共感を覚えることの奇妙さを感じるが、その精神は半分は人のものであり、だからこそ理解できてしまうのだ。しかし姿は少女であっても何世紀も生き続けてきた彼女の精神は実は老人の空虚と倦怠に満ちているのかもしれない、それを想像しながら共感を覚える事がまた奇妙であり不気味でもある。
さらにここはネタバレになるが、エリは実は去勢された少年であり、「孤独な少年とヴァンパイア少女との悲劇的な恋」であった筈の物語がもう一度捻じくれて、「孤独な少年とヴァンパイア少年との悲劇的な恋」というさらに背徳感に満ちた物語へと変容してしまうのである。にもかかわらず、その背徳感があるからこそさらに、孤独によって結びつき合った二人の、あってはいけない情愛の身を切るような切なさが鮮明に浮き彫りにされてゆくのだ。
映画版との大きな違いは、登場人物の多さとそれぞれのキャラクターの掘り下げが成されている部分と併せ、後半、エリが血を吸った人間たちがヴァンパイア化し、街が巨大なパニックに至ってしまうという部分にあるだろう。映画版はオスカルとエリの侘しい情愛の様子のみをメインとして語っていたが、原作では話の幅が広がり、その分おぞましいホラー描写が存分に描かれることとなるのだ。
日本語翻訳版で前後編800ページ近くあるこの物語を、作者リンドクヴィストは圧倒的な筆力でまとめているが、なんとこれが処女作なのであるという。この力量を考えるなら「スウェーデンのスティーヴン・キング」と呼ばれることも十分頷けるというものだ。リンドクヴィストには他にも未訳の長編が幾つかあるらしいのだが、これらの翻訳を心から希望したい。