最近読んだSF/『ビット・プレイヤー』『パラドックス・メン』

■ビット・プレイヤー/グレッグ・イーガン

ビット・プレイヤー (ハヤカワ文庫SF)

彼女は洞穴の中で目ざめた。外に見えるのは空、下から照りつけるのは日光。この奇妙な世界は何なのか?――未知の世界のありようを考察する表題作、死んだ名脚本家の記憶を持つアンドロイドが自らのアイデンティティを追う「不気味の谷」、恒星間をデータとして旅する夫婦を描いた、長篇『白熱光』と同一未来史の中篇「鰐乗り」など六篇を収録。現代SFのトップランナー、イーガンの日本オリジナル短篇集。

”現代SFのトップランナー”ことイーガンの、日本独自編集では6冊目となる短編集だ。で、これが残念なことにつまらない。イーガンは結構好きな作家で割と多く作品を読んでいたが、この短編集にはがっかりさせられた。作品毎に書くと、「七色覚」は網膜インプラントなるものがテーマとなるが、こんなもん毎日つけてたら普通に気持ち悪くなって吐くよな。 アンドロイド・テーマの「不気味の谷」は短編「ひとりっ子」の焼き直しみたいにしか読めなかった。「ビット・プレイヤー」、イーガンお得意の物理法則SFと思わせといての二段落ちだが、これでは最初の描写が思わせぶりなだけで無駄だ。「失われた大陸」は長編『ゼンデギ』冒頭の没アイディアみたいだ。「鰐乗り」、データ化した夫婦の数十万年に渡るパートナーシップ、まあ、有り得ない、テクノロジーではなく人間の心理として。「孤児惑星」は「未知の惑星に行ったらこんなにびっくりだったよ!」という単純な冒険SFを科学用語を使ってややこしくしただけ。なんだかイーガン、煮詰まってるんじゃないのか。とはいえ、それとは別に「鰐乗り」を読んで思ったのは、ほぼ不死になり数10万年を生き、宇宙を縦横に旅し様々な異星の知性と巡り合う、というこの物語は、実は「不可能とは言えない遠未来SF世界」というよりも、神とその眷属が集う神話世界に近いのではないか。サイエンスを描きながら最終的に神話に行きついてしまう、というその構造がちょっと興味深かった。

ビット・プレイヤー (ハヤカワ文庫SF)

ビット・プレイヤー (ハヤカワ文庫SF)

 
ビット・プレイヤー (ハヤカワ文庫SF)

ビット・プレイヤー (ハヤカワ文庫SF)

 

 

パラドックス・メン/チャールズ・L・ハーネス

パラドックス・メン (竹書房文庫)

時は2177年、舞台はアメリカ帝国。物語はひとりの男が権力者の寝室に忍びこむところから始まる。その男こそが“盗賊”アラール。記憶を失くし、名前を失くし、不時着した正体不明の宇宙船より現れた男。権力を一手に握った、悪しきアメリカ帝国宰相ヘイズ=ゴーントを討つ力を持った、唯一の男。帝国警察に追われる中、ケイリスという女性と逢いしアラールは、彼女に命を救われる。はじめて逢うにも関わらず記憶を揺さぶられ、その理由根拠は一切不明。この時を境にアラールを中心として宇宙は回りだす。謎多き宇宙船トインビー22、全知全能の男メガネット・マインド、ヘイズ=ゴーントとの対峙、フェンシングによる決闘…時間は縮み空間は歪む。複雑怪奇にして不羈奔放の物語。

「これがワイドスクリーンバロックだ!」という帯の惹句がワクワクさせられる『パラドックス・メン』だが、いやすまん、悪いがこれもつまらなかった。1953年の作品らしいがなにしろ古臭い、SFアイディアにしても今読んで特に目新しく感じるものが無い。 作者はA・E・ヴァン・ヴォークトのフォロワーだったらしく、この作品も確かにヴォークトを彷彿させるが、個人的にはヴォークトそれ自体が古臭くて楽しむことが出来なかった人間なので、それの亜流読まされてもなあ、と思ってしまう。とはいえこれまで殆ど日本で作品の紹介されなかった古いSF作家の処女作をこうして掘り出すという行為は、「知られざるワイドスクリーンバロックの代表作家」の作品を紹介するというSF史的な意味あいもあり、それを成し得た訳者である中村融氏の熱意とSF愛が十分に伝わっては来るのだ。ヴォークトワイドスクリーンバロックSFにはファンも多く、オレは楽しめなかったがそこそこに話題にもなった作品だから、決して凡作と切り捨てていい作品ではないのかもしれない。

パラドックス・メン (竹書房文庫)

パラドックス・メン (竹書房文庫)