■ガニメデ支配 / P・K・ディック & レイ・ネルスン
星間戦争に敗北し、ガニメデ人に占領された地球。だが人類には希望があった。テネシーの山中で、戦前から抑圧されてきた黒人たちを率いる抵抗勢力の指導者が反撃の機会を窺っていたのだ。その彼を取材するため元恋人のテレビ司会者が訪れる。一方、異端の天才精神科医が開発したものの、だれも使用したことのない最終兵器が発見された。種の生存を賭けた幻視大戦。本邦初訳長編。
P・K・ディックの未訳長編がまたもや訳出されてファンとしては嬉しい限りだ。しかもこの長編、レイ・ネルソンというSF作家との共作なのだという。タイトルは『ガニメデ支配』、1967年の作であり、これは『逆回りの世界』『ザップガン』(1966年)の後、そしてあの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968年)の前に書かれた作品ということになる。そしてこの作品、今まで未訳だったにもかかわらず、ディックのエキスがたっぷりと詰まった、実にディックらしい長編じゃないか?
物語は宇宙からやってきたガニメデ人に支配された後の地球が舞台となる。ちなみにこのガニメデ人、芋虫の様な薄気味悪い姿をしたクリーチャーとして登場する所がパルプSFしていてまず嬉しい。しかしこのガニメデ人に唯一抵抗する勢力が地球にあった。それは黒人指導者パーシィXを首領とする黒人反乱分子たちだ。このパーシィーXを取材するため元恋人で日本人・アメリカ人ハーフの女性TV司会者が反乱分子の潜むテネシー山中へと赴く。一方、この戦争を終結させるため天才精神科医バルカーニの開発した最終兵器が発見される。しかしそれは、あらゆる生物の精神に影響を与える幻視現象兵器であったため、使用されると地球人にも影響を与えかねない諸刃の剣だったのだ。
この物語の鍵となる黒人解放戦線の首領、パーシィXが黒人であり、またその恋人が日本人ハーフである、ということがまず興味深い。さらに舞台となるアメリカ南部テネシーは、この物語の中でさえ未だ黒人差別が根深く残る土地として描かれるのだ。しかもパーシィXの補佐となる黒人男性の名が「リンカーン」。異星人の支配した世界で、被支配者である白人がさらに差別する黒人という構図、その差別されている黒人だけが地球を救おうと立ち上がる展開、もうこれだけで、ディックが物語の中にどのような皮肉なアレゴリーを込めようとしたのかが分かってくるだろう。また黒人カルトを起点として物語を展開させてゆくプロットはディックの処女純文学長編『市に虎声あらん』にも見られ、ディックの有色人種への奇妙な心情的接近が伺うことができ、ディック作品を読み解く鍵のひとつになる。ディックは黒人の中にある種のオルタナティブな力を見出していたのではないだろうか。
もうひとつ面白いのは異星人支配者ガニメデ人の描写だ。異星人ならではの不気味な性質は与えられてはいるものの、ハリウッドSF映画によく登場するような人類に全く理解不能で残忍残虐な異星生物といったものでは無く、ただ支配者の傲慢を備えた鷹揚な態度の生物として登場するのだ。これは実は、この作品がディックの代表作のひとつ『高い城の男』の続編として予定されていた作品のプロットを流用したものであるからだという。『高い城の男』は第2次世界大戦で枢軸国が勝利し、アメリカが日本とドイツによって分割支配された世界を描く作品だが、いわば「本書で地球を占領したガニメデは大日本帝国の宇宙的隠喩」であることが巻末の解説でも明らかにされている。即ちこの物語を『高い城の男』の続編として読むと、また違った切り口と味わいを得ることができるというわけなのだ。
そしてなによりこの物語の真骨頂となるのは、中盤から登場する「幻視現象兵器」が使用された際の、あまりにもディック的な威力のありさまとその描写なのだ。地球侵略SFなのにもかかわらずその戦局を左右する兵器が熱核兵器やエネルギー砲のような破壊兵器なのではなく、精神に影響し幻覚を見せる兵器である部分がなにしろディックらしいし、そしてその幻覚描写が数多のディック作品の「変質し解体してゆく現実」の描写そのもので、ディック・ファンなら「いよ!待ってました!」と掛け声のひとつも掛けてしまいたくなるほどぞくぞくさせられるものなのだ。そこでは『宇宙の眼(虚空の眼)』が、『火星のタイム・スリップ』が、『ユービック』が、『死の迷路』が描いていた「グズグズと崩れ落ちる現実認識」が繰り返され、そうして風穴を開けられた現実の向こうに、あまりにも異様なもう一つの世界が広がっている、というわけなのだ。こんな展開のディックSFが面白くない訳がない。
また、この物語ではディック作品お馴染みのシミュラクラ(非人間的な人間と人間的な非人間の対比から、「人間性とは何か?」を浮き彫りにしようとする)、テレパスによる「共感(エンパシー)」(人は共感によってはじめて結び付くのではないか、というディックならではの考え)など、ディック作品のモチーフがオンパレードになっている部分がまた楽しい。なおこの作品はレイ・ネルスンとの共作ということになっているが、いったいどこがレイ・ネルスンの部分なのか分からないほどにディックらしい作品となっている。ある意味とっちらかったり逸脱しがちなディックのプロットを整理した形にしたのがレイ・ネルスンの功績なのかもしれない。これまで未訳だったことから駄作珍作を予想する方もいらっしゃるかもしれないが、少なくともディック・ファンには暖かく迎え入れられる作品ではないだろうか。
- 作者: P・K・ディック&レイ・ネルスン,佐藤龍雄
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