■ I 【アイ】 第2集 / いがらし みきお
神は存在するのか、生きること・死ぬこととは何か、という巨大なテーマを、貧しい東北の町や村を舞台に、奇妙な能力を持った少年と、現実に嫌気のさした優等生の少年を中心にして描く
いがらしみきおの「
I【アイ】」は、ホラータッチでありながらその背景に非常に哲学的な命題を横たわらせていた。この第2集では、舞台を「にんげん農場」なるカルト・コミニュティを中心にして描かれるが、"一回人間社会の決まりごとをリセットして独自の論理でもう一度新たな社会を構築する"という思想であるらしいこのコミュニティ、一言で言うならなにしろキモイ。そして屍累々だった第1集よりもさらに死体がゴロゴロと転がる展開となっている。それによりホラーテイストは第1集にも増して加速して、その分哲学的なテーマは後退することとなる。しかし、いがらしでなければ描けなかったであろうこのキモさ、その生々しさは、ある意味人の生のグロテスクさを描いたものなのだといえるのかもしれない。第1集が「煉獄篇」だとすると、これは「地獄篇」なのだ。すると次巻では「天上篇」ということになるのか。益々もって楽しみな『
I【アイ】』である。(『 I 【アイ】第1集』 レビューは
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■羊の木(2) / いがらし みきお、山上 たつひこ
刑期を終えた重犯罪者たちを秘密裏に街に住まわせて更生させる、というプロジェクトを描く『羊の木』、この物語は、既に刑期を終えた犯罪者は一般人であり、それを偏見無く受け入れるべきだ、という理性論と、いくら刑期を終えたとはいえ前科のある者はどこかしら薄気味悪い、という感情論が一つのところでせめぎ合い、その理性と感情の危ういバランス感覚が、読む者の倫理観まで抉り出すさまが面白かったのだが、この第2巻では、元受刑者のみなさんはやっぱりおかしな人たちでしたあ、ということになり、危ういバランスだったものは一気に崩れ、当初の倫理的な問いかけは反故にされ、ただひたすらアクシデントが雪崩のように襲い掛かるカオスを描く展開となっている。う〜んこっちに持ってちゃったのか。それと元受刑者の数が多過ぎて物語がとっちらかっている印象を受ける。しかしこっちに持ってちゃったのなら持ってちゃったで、最後にどういう落とし所を見つけるのか、このカオティックな状況がきちんと終息するのか、それはそれで楽しみではある。(『羊の木(1)』のレヴューは
こちら)
アメリカでロボットで、でも何故か大相撲、という大いなるミスマッチ感を、真面目なのかふざけているのか怒涛のハイテンションで描ききる、というあまりにも馬鹿馬鹿しい大技を駆使したコミック。そしてお話自体は父と子のなんちゃらかんちゃらというベタなケレンで、これもまた真面目なのかふざけてるのかよくわからない。いわゆる大真面目な顔して言うくだらない冗談、というやつなんだろうが、それを長編で貫き通したのが勝因かも。
"改訂版"の
デビルマンもいよいよ最終章。とはいえ、イメージ画みたいなページが若干数書き足されているだけで、物語それ自体を深化させたとか、『
デビルマン』という物語に新たな展開が補足された、というわけでもない。まあこの"改訂版"は
永井豪の自己満足なんで、ファンとしてはそれと知っててつきあうみたいなものだったから、それほど文句も無いんだが。というわけでこれで永井さんは満足してくれたのかな。
ああ…立川篇と全然同じ、襲い掛かる
ハカイジュウと逃げ惑う人間、ただそれが延々繰り返されてるだけなんだよなあ。もう飽きてきた…。