どこまでも重厚に描かれた切り裂きジャックの物語〜グラフィック・ノベル『フロム・ヘル』

■フロム・ヘル / アラン・ムーアエディ・キャンベル柳下毅一郎

フロム・ヘル 上

フロム・ヘル 上

フロム・ヘル 下

フロム・ヘル 下

我らは人間精神の究極にして最終的な場所におる。
薄暗い識域下の地下世界だ。人が自分自身と出会う光り輝く深淵だ。
地獄だよ、ネトリー。
我らは地獄にいるのだ。
――フロム・ヘル下巻 第九章「地獄より」(p.31)

フロム・ヘル』。19世紀末の大英帝国を恐怖に陥れた"切り裂きジャック"の物語である。いまさら切り裂きジャック?とも思ったが『ウォッチメン』原作のアラン・ムーアの作品であるし、評価も高いようだし、一応読んでおくかな、程度の気持ちで手にしてみたのである。A4版上下巻、値段も高いし本は重いしアメコミなのにモノクロ画面、絵柄は地味だし描かれ方は淡々としているし文字はやたら多いし、読み始めは本当に取っ付きが悪かったのだ。しかし読み終えてみて、その圧倒的な物語構成に「なんだかとんでもないものを読んでしまった」と呆然としてしまったほどである。畢生の大作、とはこういう作品に使われるべき言葉だろう。

フロム・ヘル』は1888年、ロンドンの貧民街で少なくとも5人の売春婦を殺害した連続殺人鬼"切り裂きジャック"事件の発端と終焉を描くものであるが、真の主役となるものは汚濁と貧困、悪徳と傲慢のはびこる街ロンドンそのものであるといっていい。そこにはアトランティス文明の名までもが言及されるイギリスという国の永きに渡る血腥い歴史と、太古より隠秘主義的に構成された地政学の存在までもが語られることになる。原作者アラン・ムーアは蒐集した気の遠くなるような膨大な量の参考文献を元に、1888年のロンドンとそこに生きる人々を偏執的なまでに緻密に構築し、読者の目の前に再現させることに成功している。

そしてその街ロンドンではフリーメイソン協会が怪しく蠢き、王室が邪な陰謀を巡らし、警察は腐敗し、貧民街では売春婦たちが希望の無い日々を生き、狂った殺人鬼は刃物を振りかざす。さらにその閉塞感は20世紀の大量殺戮である世界大戦の烽火となって燃え続けることを作品は予見する。作中にさりげなく埋め込まれたマルクス主義の台頭、アドルフ・ヒトラーの生誕などはその予見を臭わす作者一流の構成の妙だろう。登場人物には事件に係わった実在の人物の他「エレファントマン」ジョン・メリックや詩人のウィリアム・ブレイクオスカー・ワイルド、さらには神秘主義アレイスター・クロウリーまでが現れ、物語はいやおうなく魔術的な様相を呈し始めるのだ。

上巻でまず圧倒されるのは第四章「王は汝に何を求めるや?」だろう。"切り裂きジャック"こと医師ウィリアム・ガル卿が馬車に乗りロンドンの町を彷徨いながら御者であり共犯者であるネトリーにロンドンの"霊的建造物"を案内してゆくのだ。そこで語られる狂信的な陰秘学思想がウィリアム・ガル卿の犯罪の根幹となるものであることを読者は知らされる。それは太古に存在したとされる女性原理的な無意識が、理性と論理に支配された男性原理と抗い駆逐されてきた歴史だ。その中でガルは無意識の復権の為に神秘主義的な儀式、即ち生贄としての殺戮をこの街で行おうとするのだ。そして最後に"霊的建造物"を結ぶ線が呪術シンボル・五芒星を成している事実が明かされるのだ。

ガルは狂人であったのだろうか。むしろ膨大な知識と鋭利な知性、そして透徹した理性を持っていればこそ彼は易々と倫理の垣根を飛び越え、限られたものしか到達することの出来ない"無意識の王国"への切符を手にすることを可能にしたのではないか。それはクライマックスとなる最後の殺戮と、その後のガルの至る道の中で彼が幻視する神秘体験の中に顕現することになる。ガルの成す殺戮はどこまでもおぞましく非人間的な所業であるが、しかし読むものはガルの見る眩いまでの"ビジョン"に陶然となることだろう。これが狂気のみが見せるものであるとすれば、正気とはなんなのか。ガルの狂信は果たして本当に"狂った"ものだったのか。人間の意識の深淵にまで踏み込んだ恐るべき作品、それがこの、『フロム・ヘル』なのである。