バットマン:ダークナイト / フランク・ミラー

DARK KNIGHT バットマン:ダークナイト(ケース付) (SHO-PRO BOOKS)

DARK KNIGHT バットマン:ダークナイト(ケース付) (SHO-PRO BOOKS)

この『バットマンダークナイト』は1986年に出版された『バットマン:ダークナイト・リターンズ』、その続篇であり2001〜2002年に出版された『バットマン:ダークナイト・ストライクス・アゲイン』を1冊にまとめたグラフィックノベル・コミックである。原作は『300』『シン・シティ』のフランク・ミラー
バットマン:ダークナイト・リターンズ』は「ヒーローを引退していた55歳になる老境のバットマンが現役復帰して悪を懲らしめる話」だ。当時まだ存在していた米ソ冷戦を背景に、「正義とは何か?」「ヒーローとは何か?」を問いかけるこの物語は、最近も話題になったアラン・ムーアの『ウォッチメン』と並び20世紀アメリカン・コミックの最も重要な作品の一つとされている。これらの作品が何故重要なのか?というと多分それはそれまでの善悪二元論的なヒーロー像や正義というものの概念に疑問を呈したからなのだろうと思う。つまりこの『バットマンダークナイト』は批評され相対化されたヒーロー像であり正義というものの概念を描いた作品であるという事が出来る。
だからこそ主人公バットマンはヒーローらしからぬ老人であり、老人であるがゆえにヒーローらしからぬ肉体の弱さを敵に晒してしまう。さらにバットマンのエゴイスティックな正義は非合法な自警団を組織させ、果てに自ら禁じていた犯罪者の処刑にまでエスカレートしてゆく。そのような暴走した正義を社会は受け入れ難いものとして否定し糾弾し、遂には政府によるバットマン抹殺指令が下ることになる。そしてその刺客として送られたのが、もう一人の正義のヒーロー、スーパーマンだったのだ…。
こういった批評性が従来のヒーロー物語のあり方を覆したという意味でこの『バットマン:ダークナイト・リターンズ』は画期的であり評価を得たのだろう。ただ、こういった相対化作業は多分に80年代的なイデオロギーの賜物であり、古臭いとは言えないとしても21世紀になってしまった現代においては、そういった批評の果てにある新しいヒーロー像こそが必要なのではないかという気がしてしまう。だから歴史的に意味のある物語として読めても、今現在最も新鮮な物語として受け取ることには抵抗がある。
そしてその続篇として描かれた『バットマン:ダークナイト・ストライクス・アゲイン』である。最初に言ってしまうと、この作品は駄作であると思う。グラフィックの稚拙さや物語構成の粗さは読み進めるのが途中で辛くなってしまったぐらいだ。しかしだ。ここで描かれる圧倒的なまでのバットマンの正義は、その正否はともかくとしても、批評と相対化の果てに獲得された確信犯的な正義である事は確かだ。2001年から描かれたこの物語は、"21世紀のヒーローの新しい正義"を模索し、取り合えず出した一つの回答である、という言い方は出来ないだろうか。期を熟さずに描かれた為に完成度は低いにしても、そこには進化しようとするヒーロー像の欠片が存在しているように感じる。