決して消え去らないかけがえのない時間 / 絵本『たぬき』

たぬき / いせ ひでこ

たぬき

〈お日さん、あったかいねえ〉 〈かあちゃんみたいだねえ〉 2011年の春、絵描きの家の庭にあらわれた たぬきの一家。 産む、育てる、いのちの絆の物語は、やがて別れと旅立ちへ。 小さなからだ全身で「生きる」たぬきたちと、絵描きとの まぼろしのようなおはなし。

常日頃「たぬき可愛いたぬき可愛い」とうわごとのように呟き、TwitterXのTLは投稿たぬき写真だらけ、たぬきの飼われている動物園に行っては「たぬー!たぬー!」と大騒ぎしているはた迷惑なたぬき中毒老人のオレであるが、たぬき好きが高じてお次はたぬき絵本を購入してしまったのである。

作者は北海道生まれの画家・絵本作家いぜひでこさん。デビュー作『マキちゃんのえにっき』で野間児童文芸新人賞、『ルリユールおじさん』では講談社出版文化賞絵本賞を受賞し、その作品はフランスをはじめ多くの国で翻訳出版されているというベテラン絵本作家である。

絵本『たぬき』は2011年春、東日本大震災の年に、いせひでこさんの家の庭に現われたたぬきの一家を描いたものだ。当時いせさんは里山の古家に住み、ここをアトリエとして過ごしていたが、ある日その古家のベランダに、一匹また一匹と子たぬき親たぬきが現れたのである。その数は次第に膨れ上がり、しまいには10頭近くのたぬき大家族がいせさんの家のベランダで過ごすようになったのである。

その姿を日々こっそり観察していたいせさんが、絵本の形にしたためたものものがこの作品となる。ベランダをちょこまか動き回る子たぬき、それを見守る親たぬき、走ったり喧嘩したり居眠りしたり、スリッパをガジガジかじったりしているたぬきたちの姿を、美しい水彩画で生き生きと再現しているのだ。

それもただたぬきたちの姿を描くだけではなく、この絵本にはドラマがある。移り変わってゆく季節と共に次第に成長してゆく子たぬきたち、そして巣立ちの時期、それは豊かな自然の光景といっしょに、あたかも歳時記のように描かれてゆくのだ。

もうひとつ、ここには作者であるいせさんのドラマもある。それはあの大震災のあと、余震が続き原子力発電所の事故による放射能被害に、不安な日々を送っていたいせさんの心の動きである。未曽有の災害の中で、たぬきたちの姿を通じて「生きる」ということはなんなのかに思いを巡らすいせさんの姿は、あの災害を体験した全ての人に共感を与えるだろう。

以前TwitterXでたぬきを飼われていた方が、自分とたぬきとのひと時を「御伽噺のようだった」と語られていたのを覚えている。まるで御伽噺のように、どこかふわふわとした、すぐにでも消えてしまいそうな幸福。それは、どの命もはかなくて、いつか消えてしまうようなものであっても、それでも、今この時のかけがえのない時間は確かに存在して、この胸から消え去ることは無いのだ、と言っているような気がした。

そんな、かけがえのない時間が、絵本の形になって刻まれているのが、この作品なのだと思う。その幸福の時間は、本を開けば、いつでも目の前に存在するのだ。

※参考:これまで読んだ動物絵本記事