なぜオレは日本の映画も小説も音楽もあんまり興味が無いのか。

オレは映画や小説や音楽を趣味としているが、これがたいていは海外のものばかりで、国産のものには殆ど興味がない。映画は洋画ばかりで邦画はあまり観ないし、小説も翻訳小説ばかり、音楽も大概が海外アーチストであったりする。

国産のものを全く受け付けないわけではなく、例えば映画なら庵野作品や北野武の映画は観るし、小説なら京極夏彦は片っ端から読んでいるし、大昔は村上春樹程度は読んでいた。音楽に関しては今は全く邦楽を聴かないのだが、以前は電気グルーヴMUTE BEAT、あとJAGATARA原マスミはよく聴いていた。坂本龍一も嫌いじゃなかった。とはいえこれらは全てピンポイントに特定の監督なり作家なりアーチストばかりで、ここから逸脱することがまるで無いのである。

勿論これは好みの問題でしかなく、海外のものは優れていて国産のものは劣っていると思っているわけでは決してない。ただし、ではなぜ国産のものを受け付けないのかと言うと、それなりに理由が無い訳ではない。

例えば映画だと、これは前言を覆してしまう事になるが、邦画は、まあ、面白くない(としか思えない)作品が多いことは確かだ。ただそれ以前に、日本の俳優が、あまりに(メディア上で)身近過ぎて神秘性がない、というのがある。音楽は、オレはながら聴きすることが多いのだが、その時、日本語の歌詞が耳に入ってくると考えの邪魔になるというのがある。それと日本の音楽はどうも繊細で線が細く感じる。小説は、日本人の共通認識事項が暗黙の上に書かれていると、なんだか身の回りの現実を見せられているようで、現実逃避できない。それと海外の小説には日本人と違う思考様式が感じられて、そこが興味を引くというのもある。

こんなのオレだけなのかな、と思っていたのだが、声優で執筆活動もされている池澤春菜さんと以前お話する機会があったのだが、読書家で知られる池澤さんも殆ど海外小説しか読まないという話を聞き、やっぱり同じ人はいるのだなあと思った事がある(随分昔の話であり、日本SF作家クラブ会長などをやられていた頃は当然日本のSFを読まれていただろうし、Web書評でも日本作家の作品を取り上げてもいるが)。なおこの一節は池澤春菜さんと会ったことがあるという単なる自慢も含まれている。いやー池澤さんメッチャ素敵な方でした。

現実逃避と書いたが、要するにオレは映画や小説や音楽で、ここじゃないどこか、できるだけ遠いどこかにポーンと飛ばされたいのだと思う。オレはそこそこ豊かで平和で安全に過ごせておまけにメシが美味い日本という国が結構好きなのだが、ただ毎日右も左も日本人で日本人の慣習にばかり接してくると飽きてくるのも確かなのだ。だからそういった自分の現実から妄想の世界に逃避する際には、日本的な要素ができるだけ存在しない方が「飛べる」のである。海外旅行という手もあるのかもしれないが、旅行に関わる煩わしさはある意味現実でしかなく、それと当然コストも高い。それなら映画や小説や音楽で十分だ。

そんな訳で海外のものばかりに目が行ってしまうオレなのである。だからこれからオレの事を「鼻持ちならない外国かぶれのクソ野郎!」と蔑み罵り泥だらけの靴で強く激しくサディスティックに踏んでくれ!特に背中のツボの辺りを重点的に!(なんなんだいったい。)

(ところでトップの画像はBingのImage Createrで作成した。「本と映画と音楽」って入力しただけでこれである。生成AIってやっぱりスゲエな。)