京極夏彦17年ぶりの百鬼夜行シリーズ最新作『鵺の碑』を読んだ!

鵺の碑 / 京極夏彦

鵼の碑 【電子百鬼夜行】

殺人の記憶を持つ娘に惑わされる作家。 消えた三つの他殺体を追う刑事。 妖光に翻弄される学僧。 失踪者を追い求める探偵。 死者の声を聞くために訪れた女。 そして見え隠れする公安の影。 発掘された古文書の鑑定に駆り出された古書肆は、 縺れ合いキメラの如き様相を示す「化け物の幽霊」を祓えるか。 シリーズ最新作。

オレと「百鬼夜行シリーズ」

京極夏彦の「百鬼夜行シリーズ」、17年ぶりの新作発表。これはもう京極夏彦、ならびに「百鬼夜行シリーズ」の大ファンとしてはお祭り騒ぎである。

百鬼夜行シリーズ」、それは戦後間もない1950年代の日本を舞台に、陰陽師であり”憑き物落としの拝み屋”である「京極堂」こと中禅寺秋彦を主な主人公とした推理小説である。妖怪の名をタイトルに冠し、魑魅魍魎の蠢くが如きおどろおどろしくもまた奇ッ怪な事件が次々に起こるが、主人公・京極堂はその博覧強記の知識と強固な論理性でもって事件を合理的に推理し一刀両断に解決してゆく、というのが主なストーリーだ。作品の魅力は京極堂を始めとする強烈な個性を持つメインキャラクターの愉しさであり、一見怪奇小説的な薄暗い展開であり、民俗学的な視点から切り込まれる伝奇小説的な味わいにあるだろう。さらに、その著作も煉瓦のように分厚いのも特徴だ。

思えば1996年に『鉄鼠の檻』が刊行された際、それまで京極夏彦の名前を全く知らなかったオレが「なんだかとんでもなく分厚いミステリ小説が出てそして大評判となっているけれどこれはいったいなんだ?」と興味を持ち、ミステリ自体全然読まない人間なのにもかかわらず読んでみることを決意、しかしその時点でこれがシリーズ作の第4弾と知り「それじゃあ先に出ていた3作を読み終わってからこの『鉄鼠の檻』ってェヤツを読んでやろうじゃないか!」とさらに決意して第1作『姑獲鳥の夏』から順に『魍魎の匣』『狂骨の夢』と読了し、ようやくお目当ての『鉄鼠の檻』を読み終えた頃にはすっかり京極マニアと化していたオレがいたのである。それ以来、京極小説を見つけると当たるを幸いなぎ倒し、貪り食うように読み繋いできたのだ。

シリーズ17年振りとなる新作『鵺の碑』

そんな「百鬼夜行シリーズ」だが2006年に刊行されたシリーズ9作目『邪魅の雫』からぱったりと音沙汰無くなり、「京極さん、このシリーズ書くの飽きたのかなあ」とまで思っていたほどだ。なぜなら京極夏彦の著作自体は精力的に刊行されており、そしてそのどれもが傑作だったからだ。そもそも『邪魅の雫』自体京極小説のちょっと悪いクセでもある認識論的ぺダントが過剰になり過ぎていて、こればっかりやられちゃうと飽きちゃうし作者も煮詰まっちゃうんじゃないかな、とは思っていたのだ。

しかしシリーズ17年振りとなるこの『鵺の碑』は、そんな杞憂を全て消し去る程の快作として登場した。17年振りともなる分、作者の内面や執筆スタイルの変遷もあったのだろう、『邪魅の雫』から『鵺の碑』に至る17年間に書かれた様々な京極小説の、変化し進化したニュアンスをこの『鵺の碑』に感じ取ることができるのだ。それは例えば「百鬼夜行シリーズ」のスピンオフ作品として書かれた幾つかの中編連作における登場人物の瑞々しさ若々しさ、「書楼弔堂シリーズ」の舞台である明治時代の物語にこの現代における社会問題をさりげなく挿入するテクニック、そういったものを『鵺の碑』からも感じるのだ。

さてタイトル『鵺の碑』にあるように今回取り上げられる妖怪は「鵺」、それはこのようなものである。

近衛天皇の時,源頼政が禁中で射落としたという怪獣。頭はサル,体はタヌキ,尾はヘビ,四肢はトラで,トラツグミに似た陰気な声で鳴くと《平家物語》にある。転じて正体のはっきりしないさまをいう。

鵺(ヌエ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

百鬼夜行シリーズ」の新たなる傑作

今作『鵺の碑』の舞台となるのは日光である。この日光の地に「殺人の記憶を持つ娘に惑わされる作家、消えた三つの他殺体を追う刑事、妖光に翻弄される学僧、失踪者を追い求める探偵、死者の声を聞くために訪れた女」が何かに引き寄せられたかのように一堂に会してしまうのである。それらはそれぞれに関連性の無さそうな「物語パーツ」でありながら、最終的にあたかも蛇、虎、狸、猿といった動物パーツの集合体となった妖怪「鵺」のごとく一つの「事件」へと収束してゆく、という仕掛けになっている。こういった「複数の事件の集合体としての一つの事件」という構成は『塗仏の宴』でも用いられたが、この『鵺の碑』が違うのは全てが日光という土地に存在する「何か」に収斂してゆくという部分だろう。

さてこれは推理小説であるからこれ以上の事を書くのは御法度だろう。とはいえこれまでの「百鬼夜行シリーズ」とはどこか変わったな、という印象は強烈に残った。確かにいつものごとく「奇ッ怪な事件」は描かれるにせよ、これまでの暗さおどろおどろしさは影を潜め、陰惨猟奇な描写が殆どと言っていいほどないのだ。あのいつも鬱々とした作家・関口君ですら、それほど特にモヤモヤしていないのだ(モジモジはしていたが)。物語はシリーズ最大とも言えるかもしれない巨大な陰謀が登場し、それに関わる事を余儀なくされた人間たちの哀しみも描かれるが、その描写は残酷さよりも同情であり哀憐であり、戦中戦後という辛い時代を生きてしまった者への共感が垣間見えるのだ。

そしてなにより、爽やかですらある読了感を残す部分が印象深い。これはこれまでのシリーズではなかったことではないか。オレは「百鬼夜行シリーズ」の最高傑作はそのめくるめくようなペダントから『鉄鼠の檻』であると確信していたが、この『鵺の碑』はひょっとしたら「百鬼夜行シリーズ」の新たな最高傑作かもしれないとすら思えた。そして、遂に「あれ」と繋がるラストの驚愕ぶりといったら!いやーあの部分でオレは「ぶはっ!」とか変な声を出して腰を抜かしてしまった!800ページを超えるいつものように分厚い物語だったが、そのテンポの良さ描写の心地よさからいつまでも読んでいたい、なんならこの倍あってもいい、とすら思わされた作品でもあった。