元旦は仙台城跡で凍えたッ!?【年末年始の反省その3】

引き続き【年末年始の反省】です。今回は大晦日に行った仙台詣での後半となります。

相方さんの実家で迎えた元旦の朝はお雑煮と餡ころ餅をいただきました。それにしても仙台で食べるご飯はなにもかも美味い。

お昼過ぎに新幹線で帰ることになっていたので、朝は早めに相方さんの実家を出て、仙台を軽く観光することにしました。お父さんにはまた必ず来ますとご挨拶し、お姉さん夫婦にもお礼をして相方さんの実家を後にしました。

観光と言ってもそれほど時間はないので、仙台城跡に行ってみようと思ったんですよね。伊達政宗像とかあって「仙台に来たッ!」って感じがするじゃないですか。「政宗像を前に写真撮ったらインスタ映えするじゃん?(オレのインスタ誰もいないけど!)」とか軽い気持ちで思ったんですよね。しかしそれが悲劇の始まり(?)だったんですが……(仙台市民の方は既に気付かれたと思いますが)。

仙台駅から地下鉄に乗り国際センター駅で降りて仙台城跡へと向かいます。地下鉄駅からしばらく歩くと史跡の表示が見えてきます。

この後緩めの坂をえっちらおっちら上ると仙台城城壁跡が見えてきます。

仙台城跡の入り口となる護国神社の鳥居。

そしてこれが仙台城本丸跡(パノラマ画像:クリックすると大きな画像になります)。

しかし、目的だった【伊達政宗公騎馬像】がありません!?……実は2022年3月に発生した福島県地震マグニチュード7.4)の影響により像は修復中となっており、見ることができなくなっていたんですね。これは残念!

観光サイトの写真を見ると実際はこんな像です(仙台城跡(伊達政宗公騎馬像) | 【公式】仙台観光情報サイト - せんだい旅日和)。

とはいえ、仙台城跡から一望する仙台市とその向こうの山々の光景は壮観でした。だいたい元仙台市民だった相方さんですら仙台城跡は初めて来た(それとも2回目だったかな?)のらしく、「へーこんなだったんだあ!」と感心していました(パノラマ画像:クリックすると大きな画像になります)。

こちらは仙台城本丸跡の傍に建つ昭忠碑・金鵄像。「明治7年(1874)佐賀の乱以来、西南戦争日清戦争などに従軍した陸軍第2師団所属の戦没者に対する慰霊顕彰碑として明治35年(1902)11月昭忠会により建立された」ものだということですが(収蔵資料目録 | 青葉城資料展示館|青葉城 本丸会館)、これも2011年の東日本大震災で倒壊し、2016年にこのような形で修復されたのだそうです。こういった経緯は別としても、単純にカッコイイですね。

ただし倒壊前はこういった形だったのらしい(青葉城資料展示館の被災屋外彫刻「昭忠碑」修復、相成る! | 学芸員・大沢の研究ノート Second Season)。

それにしても、最初は単純に観光目的だけだったのですが、伊達政宗像の破損や金鵄像の倒壊といった実情に触れることで、仙台を襲った2度の大きな地震の傷跡にはからずも触れることになったのはある意味有意義でした。

というわけで新幹線の時間が近づいてきたので仙台城跡を後にしたオレと相方さんです。ただ、お昼を食べたかったのですが元旦という事で仙台駅構内はどこの店もやっていない・やっている店は長蛇の列で、諦めて駅弁を買って車中で食べることにしました。するとこの駅弁が宮城県の名物を網羅した超豪華で超美味!おかずの数が相当で、ご飯が足りない!と叫びそうになりました。

ところで仙台城跡の帰り道、坂道を降りるときに大汗をかいてしまい、仙台駅に着く頃にはその汗が冷えて体中ガクブル状態。どうやら低体温になってしまったらしく、その後家に帰ってから体温を計ってみたらなんと36度……。風邪ひかないといいんだがなあ、と心配でした。

ま、体が凍えたら暖かいものを食べればいいんだよ!という事でこの日の夜はすき焼き!すき焼き美味しかったなあ!

(次回:「伊豆シャボテン公園でカピと再会したッ!?【年末年始の反省その4】」に続く)