三浦健太郎の夭折により未完のまま最終巻となってしまった『ベルセルク』41巻である。最初に書くと「うわああああなんだこのラストはあああ!?」という驚愕の終わり方をしており、ここから『ベルセルク』は全く新しい展開を迎えるであろうことを匂わせているのだ。
いやしかし、ここから作者どうするつもりだったんだろう?と思うのと同時に、このとんでもないクライマックスでもって物語がぶった切られたように終わるのも、あらゆる想像の余地を残しているといった点で、ある意味ひとつの終わり方だったのかもしれないとすら思わせるのだ。もちろんこれは作者の死という不幸な終わり方なのだけれども、そのようにこの物語を受け止めて、『ベルセルク』という作品がこの先にもまだ見ぬ、そして永遠に知るすべもない壮大な世界の中で息衝いている、と思うしかないではないか。
それにしてもこの巻においてもその描き込みは執拗の一言であり、正直なにもここまで書き込まなくとも、この半分の情報量ですら十分であったろうにと思わせる。三浦はその想像の中にある世界全てを描こうという強烈な偏執に囚われていたのであろう。それはまさにたった一人で宇宙全てを創造しようとする、神への挑戦の如き行為であったのだ。そしてそれはたった一個の限界ある肉体を持つ人間には、荷が勝ちすぎる行為だったのだ。無限の想像力と限界のある人間存在、そんな、創作というものの持つデモーニッシュな側面にすら思いを馳せてしまう、恐るべき作品のその最終章であった。
ドゥルアンキ / 三浦健太郎(原作&プロデュース)、スタジオ我画(作画)
その三浦が原作・プロデュースし、自らのアシスタント集団であるスタジオ我画に作画を任せたファンタジー作品『ドゥルアンキ』である。こちらも三浦の夭折により未完のまま終了という形になっている。
三浦は自らのアシスタント集団を鍛錬することにより、ゆくゆくは『ベルセルク』のある程度の部分の作画を委任して自らの負担を軽減しようと計画していたのだろう。そのテストケースとしての作品がこれなのだろう(ただし全てオレの憶測で、既に『ベルセルク』の作画自体がある程度の量アシスタントに任せられていたのかもしれない)。確かに作画だけを見るなら三浦作品と見紛うばかりではあるし、これを三浦作品と言われて読まされても気付かなかったかもしれない。しかし、既存の古代神話に題を採った構成は新鮮味に乏しく、少年少女が主人公となる物語は甘さが目立ち、正直古臭さすら覚えてしまった。
例えば以前三浦名義で刊行された中編ファンタジー・コミック『ギガントマキア』には、三浦らしい「暗さ」と「異様さ」と「不気味さ」が兼ね備えられていたが、それが皆無なのだ。確かにそういった「暗さ」と「異様さ」と「不気味さ」を持ち込まないことが今作における三浦のコンセプトだったのかもしれないのだが、それにしても物足りなさを感じてしまう作品であり、ある意味失敗作だとすら言いたくなってしまう。
そういった意味では諸星大二郎のライフワークである『西遊妖猿伝』も、三浦健太郎における『ベルセルク』の如き「その想像の中にある世界全てを描こう」という試みの中にある物語であろうと思う。ただ諸星と三浦の違いは「徹底的にグラフィックを突き詰めること」のこだわりの違いであり、さらに諸星はあくまでマイペースであると同時にどんどんと枯れてくることを自らに許し、決して無理をしていないという事なんだろう。これは善し悪しの問題ではなく資質とコンセプトの違いなのだが、それにしても三浦にも諸星のように息が長い漫画家生活を送って欲しかった、と切に思ってしまった。内容には触れていなかったが、今回も「安定」の物語である。諸星さん、長生きしてくださいね。
遂に刺青人皮の暗号が解け、最終決戦への予兆を感じさせつつ終わる『ゴールデンカムイ』第28巻である。いやあ佳境だ佳境だ大盛り上がり大会だ!だがそれにしても作者、当然ではあろうが暗号の解読法とそれが導く金塊の在り処を第1巻からしっかり念頭に置きつつ物語を展開していたのであろうと思うとその周到さに恐れ入ってしまう。さてこの巻においてもキャラの肉付けの為にそのキャラの過去エピソードを持ち込み寄り道しているのだが、今回においては主人公・杉元のエピソードがそれに当たり、ここでもまたいよいよ最終章なのだな、という気にさせてくれる。そしてそんな緊迫の最終章なのにもかかわらずしっかりド下品ネタをブッコんでくれる部分に作者の優秀さを感じる。
GIGANT(ギガント)(10) / 奥直哉
「巨大化したAV女優がまっぱでモンスターと戦い地球を救う」という天才過ぎるコンセプトによって物語られた『GIGANT』の最終巻である。なにしろコンセプトありきの作品であり、あとは作者である奥直哉らしい血腥い戦闘とエロとベチャベチャしたロマンス描写と写真を使った都市の俯瞰画像を見開きでページ稼ぎしまくる、といういつものテクが伝統芸のようにぶち込まれているのである。でもいいじゃないか、それが奥直哉だ。オレは好きだ。今作も1巻まるまる使って情緒たっぷりの展開を持ち込みながら最終章を描いており、おまけにそれなりに伏線を回収していて割と誠意があるじゃないか。次はどんな作品を読ませてくれるのかな。まあ相変わらずだと思うけど。ところで最近、『GANTZ』を読み返したくなってきたんだけど、全部捨てちゃったんだよなあ。失敗したなあ。買い直すにしても巻が多すぎるしなあ……。
GANTZ:E(ガンツ・イー)(3) / 奥直哉(原作)、花月仁(作画)
その『GANTZ』を、舞台を江戸時代に移し、奥直哉は原作に回って別の作画担当者が描いている『GANTZ:E』の第3巻である。ただし奥直哉は設定を貸しているだけで内容や構成は作画者である花月仁のものなんだろうなあ。アングルやコマ運びなどの絵の見せ方にちょいと難があり、原作と比べるとどうにも見劣りしてしまうのだが、実は1巻から比べると若干成長している気はしている。いわゆる派生作品として舞台は変われど展開は一緒という不満もあるのだが、『GANTZ』好きとしてはまあまあこれもアリかな、と次巻も多分買っちゃうんだろうな。