ランサローテ島/ミシェル・ウエルベック
カナリア諸島のランサローテ島。地震と火山の噴火によって破壊された荒涼たる大地。赤、黒、薄紫の岩場に生える奇妙な形状のサボテン群。20世紀最後の年の1月、4人の男女がそこで出会う。自由とカルトをめぐる物語。著者撮影の写真83点収録。
ランサローテ島はイベリア半島から南西に1,000 km、アフリカ大陸の北西より大西洋沖125kmに位置するカナリア諸島を構成する島のひとつである。島の中心地はアレシフェ。カナリア諸島自治州のラス・パルマス県に属する*1。
2000年に刊行された『ランサローテ島』はミシェル・ウエルベックの3番目の小説集であり、同時に写真集でもある。この本は半分がウエルベック自身が撮ったランサローテ島の様々な風景写真で占められ、もう半分に中編小説『ランサローテ島』が収められている。
写真で見るランサローテ島は火山性の大地による一面の岩だらけの土地であり、そこに映し出されるのは剥き出しで荒々しくどこまでも醜い荒涼とした風景である。不気味な形のサボテンや生気のない灌木を写した写真もあるが、そのほとんどはNASAの探査機パーサヴイアランスが写した火星の光景と変わらない生命無き荒野だ。そのあまりに異界じみた光景に、『第5惑星』や『銀河伝説クルール』といったSF映画のロケでもよく使われているのらしい。
そんなランサローテ島をウエルベックはたいそう気に入ったのらしい。だからこその写真+中編集ということなのだろう。どこまでも人間を拒絶したようなこの土地が、ヨーロッパ極北の精神世界を描くウエルベックの心象風景とぴったりとマッチするのは、ひどく頷けるものがある。それはどこまでも侘しく、寒々しい風景ではある。だが同時に、そこで体験できる孤独さは、ひどく心落ち着かせるものであるに違いない。実はオレも以前、実家の、北海道の物寂しい原野を一人歩いていた時に、そんな具合に思ったものなのだ(その風景は以下の記事で見ることができる)。
一方、中編『ランテローサ島』は、その島に観光で訪れたヨーロッパ人中年男の、グダグダと弛緩した日々を描いたものとなる。これは以前『短篇コレクション 2 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)』で読んであり、ブログに感想も書いたので、ここに抜粋しておこう(手抜き)。
どことなく倦み疲れた一人のフランス人男がカナリア諸島の島ランサローテにブツクサ言いながらバカンスに出かける。ランサローテ糞つまんねえとかボヤきながらダルそうに過ごし、そこで出会ったチェコ人男やドイツ人レズカップルとグダグダと遊び、たまさか3Pセックスをしてみたりする。
この物語の何が良かったかって、主人公の基本心情が「ウゼエ」「カッタリー」なのである。それはオレがヨーロッパ圏文学を集めたこの短編集に感じていたのと同じ文言ではないか。すなわちこの物語は、既にしてヨーロッパで生きることのウザさとカッタルさに自覚的であり、なおかつそれを表明した作品であるという事なのだ。
文章は限りなくシニカルであり、セックス描写すら虫の交尾程度の情熱でもって描いてしまう。あー、この醒めてて不貞腐れた感じ、好きだなあ、なんかオレとめっちゃ波長が合うな。
もう一つ特記すべきなのは、このランサローテ島はウエルベックの長編『ある島の可能性』の舞台にもなっており、そこで登場する新興宗教団体エロヒム教の本拠地として描かれているという事だ。そしてこの中編『ランサローテ島』においても新興宗教団体ラエリアン教というが登場し、エロヒム教と同様の怪しげな活動を行っている。即ち中編『ランサローテ島』は『ある島の可能性』の着想の原型的な作品とも言えるのだ。
どことも知れぬ島の写真と中編程度のウエルベック作品ということで長編ファンには見劣りするかもしれないが、逆に中編ならではの切れ味のよさを体験できることとウエルベックの心象風景を写した写真集のカップリングという風に捉えるなら、これはこれでウエルベック・ファン必携という事ができるのではないかと思う。